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わたしの神様 父、エホバ



バプテスマを(洗礼)受けようと思った


いつの間にか、親の離婚騒動は母が今いる会衆の長老に相談をし
弁護士をどうするのか?と言う話になっていた

前にいた会衆の兄弟たちにも、長老同士の間で話が上がっていたのか
知っていてくれる人も多かった

少し、救われた気がした
知ってくれている=理解してくれてる、と思っていたから


当時は、JWの教義上、離婚するには「不貞行為があった場合」のみだった

だから、母は離婚を否定し 
父は離婚の意思を表明するために各々活動していた

この間、母には父の話をしてはならないし
父には母の話をしてはならない。

なので父も帰ってこないし
わかるのは母に関することのみ


母はエホバの証人をよく理解する「弁護士」に依頼するかで悩んでいた
結局、エホバの証人の教義を知る弁護士に依頼をしたかはわからない。

慰謝料のためもあってか不貞行為を見つけたい母
お金を散々渡してきたけど、JWという宗教に吸い取られていった父

お金の話で離婚協議は最終的に3年以上に及んだ記憶がある


まあ、わかるようにゴタゴタしていたんだ
その中でもわたしは学校に行く

学校で居場所を作るためにも頑張ったつもりだったが
この頃には通学中に
動悸 息切れ がして「学校に行きたくない」になっていた。

靴を上履きに履き替えるにも
教室の扉を開けるのにも
机に座るにも勇気がいる

今日は画鋲が入ってないか
今日は不気味なメモが入ってないか
今日はボンドが敷かれてないか…


もうすでに、その頃のわたしは保健室に行かないと生きている心地がしなかった
例えば教室に顔を出してもお腹痛いとか
理由をつけてトイレや保健室に行っていた。

でも、保健室で横になっていても生きた心地がとにかくしない

息がしにくい
苦しい
つらい
泣いてしまえばどんなに楽だろう

なんでこんなに苦しいんだろう

人間が罪深いからなのか
わたしが欲張ったからなのか
傲慢だったからなのか


わたしは社長の令嬢なのではないのか
わたしには神エホバがいるのではないか
わたしには何が残るのか
わたしは何ものなのだろうか


この時わたしの導き出した答えは
わたしは父にも母にも捨てられた娘で
わたしはおおいなる父、エホバの子だと信じることだった。
そこに縋るしか無かった。


母に、離婚していいよ。と言ったこともある。
そしたら、言われたんだ

「あんたにお金がかかるんだよ!」

「あんたなんか産まなければよかった!」と


その記憶は母にはもう既になく
わたしだけの記憶だ

とてもつらかった


なんで産んだのだろうか
なんで生まれたのだろうか
なんで中絶されなかったのか
愛しているという言葉は嘘だったのか



だから余計「エホバの証人」に依存した
王国会館に行けばみんな暖かく迎えてくれる


「頑張ってるわね」
「応援してるね」
「エホバはよくわかっているわ」

すごい。
心が温まる。


これがラブシャワーだ

ラブシャワーを受けたわたしは本当の家族だと思い込み
わたしは本当の家族になりたいと心から願い思った

JWに関わってる時は家のことを忘れられた
血のつながりの家族ではなく霊的なつながりのある家族の方が大切だと  大事だと  感じた


だからわたしは正式にバプテスマ(洗礼)を受けようと決意した

この時のわたしはまだ伝道者であり、信者である「姉妹」にはなっていなかった。エホバの証人の信者になるためには専用の緑色の本があって、その本から出てくる質問をきちんと答え、バプテスマを受ける権利を得る必要があった。

信者になるための最終テストだ。


だからわたしは学んだ
学び直した
「姉妹」になって「仲間」になるために
本当の「家族」になるために
エホバに忠誠を誓おうと

わたしはとにかく学んで奉仕をして
集会もきちんと出て
しっかりと姉妹になるための準備をした

自分の目標では去年、小学校6年生でバプテスマを受けるつもりであったので少しだけ勉強もしていたし「ついにこれがタイミングなんだ」と確信をして
わたしは天に召されるかのように喜びさらに学んだ

学校のお勉強よりも
自室で学ぶ聖書の勉強の方が楽しみだった


さあ、討議の日だ。

この日のために頑張ってきた、いろんな事があった。

家を出る前にはいつも以上に念入りにお祈りをする。
聞き届けられるという自負を抱きながら祈る


手が汗ばみ
唇をガクガクとさせながら
勇気を振り絞って答えた
発言した


緊張のし過ぎなのか短く感じた

あっという間だった

やりきった感もあった


討議の結果をドキドキしながら待った


長老からの答えはこうだ

「○○さん、まだ時期では無い気がします。
焦らずもう一度学び直しませんか?」



目の前が真っ暗になった
よくわからない、受け止めきれない。
でも、笑顔で答えなければ
わたし はどうしたら良いのか


「ありがとうございます😊また見つめ直して学んでみます」


精一杯の発言だった
わたしはなんなのだろうか
JW的にはこれは長老の愛情だ。わたしはそこにどんな愛情が感じられるか吟味するべきなのに何も考えられない。


頑張り方を間違えたのかもしれない。

でもここで負けを認めたら本当にバプテスマを受けることが無さそうだ。


逃げずに受け止めなければ、と


私は学び直すことを、討議の2週間後からまたはじめる。


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