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排斥告知から発表告知まで

排斥を言い渡されたその日から、わたしは仲間のためを思って自らを「排斥扱い」にしなければならない。

目を合わせることも
言葉を交わすことも
同じ空間にいることも良いとは言えない。

そう、忌避とは今まで家族のようだったにもかかわらず、まるでウイルスのような扱いをすることだ。
もちろん、実の家族相手でも。


最初、母はわたしにどう接すれば良いかわからないのか、会話も最低限だったし、目も合わせないようになった。わたしの生活は、部屋の中でずっと過ごしていた。

わたしは、飲み物や食べ物も自分で用意したりしていて、(これも忌避の1種だそう)
たまに買いにスーパーとか行くと「誰かに会うんじゃないか。。。」と怖くてたまらなかった。

誰かと会ったら泣いてしまいそうで
誰かに避けられたらショックで立ち直れないと思ったからだ。


その時から対人恐怖症が悪化していった。

わたしの排斥の発表まであと一週間ちょっと


自転車で街を走ってる間に奉仕中の姉妹たちに出会ったらどうしよう、と思いながら
実際は姉妹を見つけても自ら避けるような行動をしたり
とにかくビクビクして過ごしてた。
まるで犯罪者みたいだ。


自分を傷つける行為も
薬を飲む気力もない
ぼーっとしてたら朝を迎えていて
気絶したように眠り
気がつくと昼過ぎで、というような生活をしていて ふ、と気づくとわたしの排斥が発表される日になっていた。

王国会館で集会の最中に発表される。

その発表を例えるなら「断頭台で処刑を受ける」または「死刑」になる、そんな感じだ。

わたしは集会に参加するつもりもなかった。

でも、母が「行こう、最後に」と泣きながら言ってきたので「行ってもいいのか」と思ってしまい、集会に行くことになった。

もちろん、排斥されるとなれば、第1会場(メイン会場)には座れない。
普段笑顔で明るいわたしが神妙な顔で王国会館に入り、誰とも挨拶も会釈もせずに、神妙な赴きで第2会場にはいる。

私の周りには事情を知る長老がSPのように囲んで第2会場に入る。
第2会場には、他の事情を知らない姉妹たちが入ってこないように、長老夫婦も同じ会場に座った。


哀しかった。

とにかく
哀しかった。

哀しいしか出てこなかった
哀しかったしか覚えてない。


〜さんは、成員ではなくなりました


これでわたしは排斥者になる。
耐えきれない。
いっその事誰か殺してくれ!

お祈りの内容も覚えてない。
アーメン と言ったそのあとの大好きな交わりももう出来ない。涙が出そうだ。

どんな反応されるのか少し気になったけど、「アーメン」を言ったあとは周りの反応が怖くてすぐさまに自転車に乗って帰った。

なんのために集会に行ったのかもうわからない。
とにかくもう、眠い。
糸が切れるように寝てしまいたい。
いやだいやだいやだいやだ。
もう嫌だ。
なにが嫌だって、息をするのも生きてるのも嫌だ。
なんのためにわたしがいるのか
なんのためにわたしはいるのか
もうなんだっていい。
わたしをもう誰もいじめないでほしい
そっとして
ほっといて欲しい
もうわたしをほっといてくれ


ただただ無になりたくて永遠に眠りたくて沢山薬を飲んで寝た。

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