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その後

バプテスマを受けた後のことは全く覚えていない


笑っちゃうくらいに記憶が残ってない


時期的には、バプテスマ受けた10月頃にはもう中学校も行かなくなっていて
フリースクールに通っている頃だと思う
わたしは中学校に半年しか通わなかった
父に行きたくない、と伝えると
「行かなきゃいいじゃん」と言われていたからだ
母にも行きたくないと伝えると、母は保健師さんか何かを頼ったらしく、わたしはフリースクールに通う事になった

記憶の中では、この頃のわたしはムチの後遺症なのか、心に「二面性」があって、多重人格の気配も強かったけど、自分では気づいてなかった。

とにかく中学校に行くのが辛くて、最初は保健室登校から始まり、その次は別室登校、最終的には校長室登校とかいう謎な登校をしていたけど、それも入学して半年前後で終わった気がする。二学期が始まった頃には学校に行かなくなったからだ

部活に馴染めないことや、居残り練習や吹奏楽の大会に参加出来ない(日曜日だから集会と被る)事で居心地が悪くなり

クラスではハブられたり、担任にもいじめの加担をされて、わたしはとにかく「他人の目」がとても気になるようになっていた

奉仕活動で同級生の家を尋ねる事はできるのに、学校では他人の目が気になる

別室登校の時、先輩がミニスカートを履いていて、それに憧れてスカートをもらって真似したけど、ミニスカートの制服を履いて学校に行ったら、校長に呼び出され、早速、親にバレた。

この時くらいから「人権」に対して疑問を持つようになる。

好きなことを ルールだから とやらせて貰えない。
やってみたいことを 義務教育だから やれなかったりする。
自分が良いと思うことなのに納得のいかない理由で怒られたりする。

JWの教義に関しては疑問を持たなかったのに
「この世」に関してはとても疑問に持つようになる
そのくらいこの世に対して関心が強まった

JWは学校の勉強よりも聖書を学ぶことを重視してたからか、学問を学ぶことに対しても疑問を持ち始める。

英国数理 勉強してなにになるのか

成人したらソレは役に立つのか
学ぶ理由を知りたい
なんでなのか

そう感じて、わたしは何を思ったのか、父の仕事関連の書籍を読むようになった。
業界の本だし、父の持っていた本なのでかなり専門的だったけど、意味もわからず大切に読んでた。

同時に「社会」に対して強く疑問を持ちはじめていたので、日本史と言われるものや憲法や法律、経済を独学で学ぶようになる。
中学生で子ども向けの六法全書を聖書の代わりに愛読し始め、気づいたら新聞を全社読み込んで「メディア」に関して学び、次に「情報」とは、と気になって、日経新聞を専門学校に行くまで愛読するようになる。
小さな箱型のテレビを買ってもらい(買ってもらうのに母と大喧嘩もした)
いろんな報道番組を見比べてはテレビの信ぴょう性を独自に考えたりもした。

自分の部屋といえど子供部屋にテレビがあるなんて初めてだった
引きこもりをしながら独学をしつつダイエットを意識し始めたわたしは不健康にも 水 と カロリーメイト しか食べない生活をしてみたり、時にはポテトチップスを1袋無理矢理食べてみたりとかとにかく荒れてみた。
人生一度きりなんだ、できることからやりたいことをやってみようと。
中学生らしくこの頃はジャニーズにも興味を持ち始めてファンというのをやってみた。
母も昔はジャニヲタだったらしく咎められず、原宿なんかも一緒に行ったりした。

その中で気が向いたらフリースクールに行く、と言う感じで生活していた。
両親的にも子供の意見を尊重してくれていたんじゃないかと思う。バプテスマも受けて、仮にも「一人前」だった訳だしね

フリースクールも、合う・合わないがあって1度移動してる。
1つ目のフリースクールはいろんな人がいた。
特に世間の人と密接な付き合いをしたのもこの頃だ。

もちろん、バプテスマを受けたばかりのわたしはエホバの証人であることを誇りに思い、しばらく伝道活動をフリースクール内でも続け、放課後は奉仕活動も喜んでしていた。次はいつ補助開拓をしようか、学校の時間さえも奉仕に費やせると喜んですらもいた

フリースクールの教員たちは教育委員会に在籍していた経歴がある人だったり
現役のカウンセラーも在籍してた気がする。
その中に、人としてとても良い先生がいたのを覚えてる。

フリースクールで知り合う友人たちは
・家庭の事情で不登校
・いじめで不登校
・虐待等で不良になった人
・親に逆らってたら不良になってしまった人

が多かった
印象として自らフリースクール通学を望んでいる人はいないように思えた。

当時わたしの地元ではまだ「暴走族」や「レディース」と言われる集まりが中高生の間で存在していて、わたしの時代を最後にこういった輩は絶滅し風化していく

友人たちについては「傷を背負った子ども達」という認識はなく「かわいそうな人」という認識しかない。

職員室の先生方に「このプリントをいつもこない○○の家に届けて欲しい」と言われれば、喜んで伝道活動奉仕のあとに指定の住所へ行き、プリントを届けたりしていた。

そうやって出会ったのがわたしの親友だった。

彼女は親戚と暮らしていた。
グラマラスボディだし沢山ピアスも空いてて髪の毛も派手だ。
どうみてもわたしとは系統が違う。
だけど、JWじゃない人を「かわいそう」と認識していたわたしは、同情から彼女に歩み寄るようになる。

その子の周りはいわゆる暴走族に関わる人が多くて、そこに居場所がある、と言っていた

いくら親友と言えどプライバシーはあるので割愛するが、わたしが排斥(脱会)に至る原因になった、とも言えるほど大切な友人だった。

彼女は夕方まで寝てる。
夕方になると起き出して
夜になると活動を始める。

だから、逢いに行く時はいつも15:00とか13:00とか基本的には昼以降の時間帯
早い時間に行くと寝ぼけた顔で文句言われた記憶がある

親友の養母はエホバの証人に対して理解のある一般の方だったので、わたしにとっても居心地が良かったんだろう

いろんな話を聞いて
いろんな世界を教えて貰って
いろんなことを話して行くうちに
喫煙 飲酒 リストカット オーバーズドラッグ 異性交遊を目の当たりにする

わたしは彼女と仲良くなればなるほどフリースクールにもJWの集会にも行かなくなっていく。

理由は簡単だ。「行きたくなくなった」から

母は呆れているのか自分に精一杯なのかわからないけど、この頃はJWといえどある程度自由にさせてくれた。
「若い人は尋ねる」
という書籍をよく題材に聖書研究もさせられてたけど、当事者意識が全くなかったからか、何も気づかなかった。わたしは違うと思っていた

ただただ友人を含め世の人達は「かわいそう」だと思うだけで、エホバの友達のわたしが近くにいてあげよう、だなんてお門違いなことも思っていた。
もちろん、友人とご飯する時は「頂きます」の代わりに「お祈り」をし、「アーメン」という

カバンの中には聖書、ものみの塔の雑誌に、目覚めよ、そして筆記用具に六法全書

という感じ

この頃の友人関係にはストレスを感じてなくて
JWや家での生活にストレスを感じ始めた頃でもあり
友人を見て学んだわたしはお酒に興味を持ち始める。

今みたいにAmazonとか楽天は当時まだなくて
小泉政権、郵政民営化の時代。
消費税は3%とかだったかな…?

大型スーパーに奉仕活動の服装で行き、酒屋に入る。
たくさんのお酒が並んでいる
キラキラしていて綺麗だ

ロングスカートにブラウスに、パンプスの私が「お酒売場」に入っていく。
ドキドキする

中学校入学の時に父が赤ワインを飲んでいたことを思い出して勇気をだして赤ワインをレジに持って行き「親に買って来いって言われて」という言い訳もつけて買った

たいして覚えてないけど、買った赤ワインはコルクがついてて開け方がわからなかったのでしばらく自室で眺めていただけだった。


でも、何かのきっかけで、お酒を飲んでみたい、と思ったわたしは
次に近所のコンビニに行った。
よくある「チューハイ」を買って
おじいちゃんが吸っていた「タバコ」も買った。

JWの教義に反していると思っていたけど
経験してみたい。なんでダメなの?という考えに取り憑かれ、あっという間に罪悪感がなくなっていく。

…今振り返ると、考えられない行動だと感じてる

お酒とタバコをしばらく自室に隠して
次はちょっと飾ってみたくなって
でも母に見つからない場所がないから、自室からベランダに出て、室外機の陰に隠して楽しんだ。

自分の秘密基地ができた気がした。
もうこの時は多重人格のような感覚も強くなっていて「ひとりごと」も多かったし、自分ではないような「誰か」になりきってもいた。

楽しかったんだ

次はタバコの灰皿や消臭剤や芳香剤を買いに行く
アイテムは揃った。

お酒にタバコ

思いつくわたしの「悪いこと」

ドキドキしながら缶チューハイを開けた
飲んでも美味しくないし楽しくもない。
ドキドキしたけど思っていたのと違った
もったいないから少しだけ飲んであとは排水溝だ。

タバコに火をつける
うまくつかない
ライターの使い方がよくわからない。
やっと火がついた
でも、煙は出てこない
みんなどうやって吸っていたっけ……と考えつつ見様見真似にしてみると
ゴホッゴホッと涙目になった

おいしさがわからない。
むしろ咳き込んで苦しい
喘息が出たのか!?と驚いた私は慌てて
赤い灰皿にタバコを入れる。
火の消し方もわかってないからモクモクと煙が上がる。
火事だと思われたらどうしよう?と不安になった
灰皿から吸殻を取り出してもう一度咥えた。

ゴホゴホしながら真似してみた

おいしくない…

なにが楽しいんだろう…

ただ、そこには感じたことの無い背徳感がある。

それがなんだか面白く感じてしまう

吸い終わる頃には火の消し方もコツが掴めたらしくきちんと消すことが出来た。

すぐさまベランダから自室に戻る。
聖書研究をはじめる。
しばらくして母がパートから帰ってきた。



なんか臭い。

え、そう?


と一生懸命にシラを切る。

そんなやり取りしてるうちに数日後にタバコと灰皿が見つかってしまう。

怒られた。
でも、母も子供たちに内緒でタバコを吸っていたらしい。
だってわたしの灰皿に見覚えのない吸い殻があったし、そのうち、タバコの香りがして不自然にベランダの窓を開けたり閉めたりしても、何も言わなくなる。
怒られなくなった

そこで思ったのはエホバに献身しても 結局は  人の子なんだ。と
わたしはエホバの子ではない。人間なんだ と気づき始める。

そうしているうちに親友が問題を起こす
警察にわたしとわたしの母の2人で、親友の身元引き受け人として迎えに行ったり
何度か捕まったのかいきなり音信不通になったと思いきや
(父にお願いしてテレビ電話付の携帯を持っていたので、メールでやり取りしていた)
捕まって?か鑑別所また少年院に入っていくようになる

一度目に収容?された時はなんのことなのか訳もわからず
連絡がくるのをまだかまだかと待っていた
これが2回目3回目となると、同時にわたしの精神も崩れていった
JWに依存していたわたしの心が、親友に依存していくようになっていたからだ
時が経つにつれて両親の離婚騒動も悪化していく
わたしの精神状況も悪化していく
児童相談所のカウンセリングを受けているだけではなく
精神科に通わされたりカウンセリングに通わされたり
色々行っていた
色々行けば行くほどJW組織で サタンの道に引っ張られている だなんて囁かれ始める
すごく恥ずかしかった

この時はまだ精神疾患がそんなにメジャーではなく、誤解が多い病気であったのもあると思う
だけど、恥ずかしかった
本当はしたくないことのはずだけど、疑問や好奇心に逆らえなくなるもう1人の自分も感じるから。

この頃にはいろんな疾患名がついていた
ざっと10個くらいはついていたんじゃないかな
病名が増えれば薬の量も比例していくように増えていく

飲む薬が最初は2錠だったけど気づいたら8錠10錠と増えていく
辛すぎたらこれを足して飲んでねって言われて渡されていた薬もあり(頓服)
気がついたらたくさん薬を飲むことに慣れてしまっていて
薬に酔うことを覚えてしまったり
飲んでも飲んでも寝付けない時には考えすぎてしまって行き着く場所は「死」に関してだった
薬で酔っている分にはまだよかった
左の腕にたくさん傷をつけた
線を引いた
赤い雫が出てきた
自分が生きている実感がした
温かいソレが滴るたびに呼吸を感じた
生を感じる
JWは命を粗末にしてはならない
でもこの行為は前を向いて生きるための必要な行為だと自分を納得させた
一度やると二度、三度と止まらない

かさぶたができる
痒みを感じる
湧き上がる楽しいという感情
また行為をする
一本の線が次第に大きな川のようになっていく
面白い 興味深い

死を覚悟しながら行ううこの行動は生き甲斐にもなった

だけど、集会に行くときは気をつけなければならない

服装もゴシック調のものに変わっていく
JWでの教義に対しての背徳感なのか
黒をベースとした服装に惹かれていった

わたしの精神は日を経るたびに壊れていった。

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