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日記_パスタを茹でる時塩をいれすぎた

お昼はタラコパスタにした。

夕方になってまたタラコパスタがたべたい、と五歳児がいうのでスパゲッティではなくマカロニサラダ用のCの形をしたマカロニでつくることに。お昼の鍋はまだあらっておらずシンクの中。パスタ鍋ではなく普段味噌汁をつくる鍋で茹でることに。

ここでやってしまった、大きな鍋とおなじテンションで塩をいれてしまった。

そんなことに全然気づかず、ゆであがったマカロニにたらことオリブ油とレモン汁をいれてまぜる。はい、簡単で失敗がないたらこパスタのできあがり、となるはずだったがえらい辛い。塩辛い。どうしようもない。

たらこ一房、しかもかねふくの無着色のちょっといいやつ、無駄にはしたくない。

牛乳をまぜてみる。からい。チーズをいれてまぜる。からい。どうにもこうにもできない、無力感でコタツでふて寝する。ふて寝していたら五歳児もねてしまった。

さて、夕飯の支度、となった時ルッコラが目に入った。いただきものの、畑直送ルッコラ。生野菜は苦手だ、だけどマカロニは救えるかも。


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生野菜のあつかいがわからない。新鮮なうちに美味しいサラダにできた試しがない。煮るなり焼くなりしないと生っぽさが強い。どうしても受け付けない。ほかの人が用意してくれたのは大丈夫。自分の生野菜に関する信頼がない。

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ルッコラに塩辛たらこチーズマカロニとオリーブオイルと酢をかけていただくことに。みた感じも悪くない。緑にボツボツと白がのる。ぱっと見マカロニがチーズみたいだ。味もチーズ。悪くない。マカロニはほどよいアクセントになった。よかった。安堵。

料理は苦手だ、たべなきゃいけないからしている。楽しむ、なんてところには程遠い。盛りつけもなげやりだし、メニューもその場しのぎ。

余祐がないな、疲れているのかも。んーでもここ10年はずーっと疲れている。自分を労おうとはおもうが、底の見えないぼんやりとした疲労感はぬぐえそうにないのが怖い。

人に会えなくなってずいぶんと楽になった。自粛生活でも何不自由なく感じてしまう。電車にのらなくても、飛行機にのれなくても、仕事が減っても平気な自分が恐ろしい。このままズンズン深海へ沈んでいってしまいそうなのを食い止めるために日記を書きたくなったのかも。言葉にのこすことができると、沈んでいく過程も無駄にならない、きがする。










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