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みんなの想い わたしの想い in 関東廃校教育CAMP

11月11日、12日に成田の廃校を貸し切って行った廃校教育CAMP。
教育に思いが50人が集まり、みんなが教育という切り口から対話する時間。
その時間が私の目にどう映っていたのか。
それをここに書いていこうと思います。



今の気持ち

イベントが終わって、1日が経った。
昨日までの時間がすごく濃くて。まだいつもの日常に戻れない感覚。
言語化したいけど、なんとことばにしたらいいかわからない。
まだ余韻ひたひたで。みんなの顔が思い浮かぶ。
それと同時に、もう次のことを考えている自分。
今回のWS(ワークショップ)で見えてきたものがたくさんあって、毎日「学び」を突き詰めているが、今まで以上に学ぶ意欲が強くなった。
春休みは、東京を離れることを決意したし、もっと自分の目で確かめに行く経験も必要だと気づいた。
ここからがスタートであるというのが今の気持ち。


みんなから受け取った想い

私は、今回のイベントの参加者45人、ほとんどの人と面談をさせてもらった。
そこで教育に対しての想い、それだけではなく、その人自身の日々感じていること考えていることもきいた。
普段していることだけでなく、その人自身のこと。その人のバックグラウンドもきいていた。そこから出てくることばや想いが私の心に響き、
参加前に1人1人ときちんと向き合えた時間は私にとって大きかった。
その中で、一番多くきいたことば。

「教育に対して、知識や経験がない自分でもこのイベントに参加できますか。」

このようなことばを口にしていた人が7割。
私は、この声が届く度に、「経験や知識じゃなくて、想いがあること。自分の意思があることが大切。誰かに還元しようと誰かのためになろうとしないで。自分が紡いだことばが誰かの勇気やパワーになる。だから思ったことをそのままことばにしてほしい。誰かではなく、自分の想いこそを大切にしてほしい。」こう伝えた。
それに加えて、
「私だってまだ教育に対して語れることは少ない。
社会に出て、現場に立っているわけでもない。けれど、自分がこうしたい。
こんなことをやってみたいという意思はある。
私より経験値がある人も参加者の中にはいて、私もその人たちから学ぶから一緒に学びに行こう」と声をかけた。
1on1が終わるときには、みんなすっきりした顔で、行くのが楽しみになったと思いを伝えてくれた。

みんなの想いをみんなよりも誰よりも一足先にきいていたからこそ
私はあのWSができただと思っている。


自分のWSに込めた想い

私がやったWSは、「あなたが通いたい学校は、どんな学校ですか?」という問いをチームで模造紙の上に表現するWS。

まず、チームで大切にしたい価値観を決めてもらい、合意形成をとって、クレヨン、絵の具、毛糸、新聞紙などあるものを使ってみんなが通いたい学校を表現してもらった。


私がこのWSを思いついたのは、友達に勧められて読んだ「子どもたちに民主主義を教えよう」という本。
私は、この本を読んだときに、これしかないと直感で思った。
私がWSを創るときは、だいたい何を伝えたいかという想い、狙いから決める。そこからそれをどう形にしていくかでいつも悩む。
けど、だいたい自分が納得するWSを創れたときは、直感とひらめき。
考えるというよりかは、ふと思いつくという表現が正しい。
今回のWSもこのケースであった。
この本をベースにして、廃校教育キャンプでやったWSが完成した。

私がWSで「理想の学校とは?」という切り口ではなく、「あなたが通いたくなる学校は、どんな学校ですか。」という問いにしたのは、生徒視点で考えほしかったから。学校を創っているのは、先生という立場だけではない。
生徒や保護者や地域の人が関わってできている。そこに「当事者意識」を持ってほしかったこと。それは、このキャンプ中に誰かの悩みやもやもやに関わる機会がある。そこで、他人事ではなくて、自分事に捉えて一緒に悩んで考えてほしいという想いも込めていた。
そして、自分が問いに対しての想いを伝える中で、合意形成をとること。
それは、みんなが納得する形まで、対話をしてほしかったから。
なぜ、そのように考えたのか、どうしてそう思うのか。それをきいているうちにその人の価値観やバックグラウンドが見えてくるのではないかという仮説があって、何かいいものを創るではなくて、対話に重きをおいた。

こんな背景があって、WSを始めて1時間後にはこんなに素敵な作品たちで溢れていた。

この作品たちは、私の想像をはるかに超えるものだった。
模造紙を破るチームもあれば、立体にするチーム、手形をしているチームもあった。

チームでの作業が終わったあと、他のチームが創った学校をみる学校見学の時間をつくった。
その時間は、当初の予定では1人で好きな学校を回ってもらう予定だった。
しかし、40分という作業の時間の中で、チームを回っているうちに、みんなが表現している作品に、1つ1つ想いが込められてた。
なぜ、この色にしたのか。なんで、毛糸でハート形をつくったのか。
1つきいていくと創った側の想いが込められてた。それをみんなと共有してほしい。そこの想いが大切なのではないかということに気づいて、私は途中でWSの内容をその場で変更した。
それでできあがったのがあの形であった。

あのワークは、色んな切り口で見れて、様々な届けたいことがあった。
けれども、1番届けたかったのは、自分の意思(想い)を伝えること。
「自分」を主語にして話してほしいという想いがあった。
知識や経験という肩書きではなくて、ここの場所に来てくれた、ここにあなたがいるということに価値がある。それを伝えたかった。
だから、強がらなくていいし、背伸びをする必要もない。
等身大の自分のままにことばにすることをしてほしかった。

これが私がWSに込めた1番の想い。
受けてくれてたみんなに感謝。


自分の場づくりを通して見えてきたもの

50人の前で場づくりをするのは、自分にとって初めての経験だった。
ワークの内容は、あのワークを思いついた時点で、自分が今持っているものの中で自分が1番納得するものであった。
だから、ワークの内容としてはよかったものの、当日のファシリテーターのスキルは正直まだまだ。
私は、元々あがり症で緊張しいから3年前の自分に比べたら、あの場に立ってファシリをしている自分は想像もつかない。高校の友達にきいたら、見ちがえるほど変わっていると思う。
が、私が目指しているのはもっと上で。
私が今もっている力を最大限に発揮できたかというと、全然であった。
シミュレーションや壁打ちが足りなかった証拠だと思った。
RyF(Raise your Flag)に入った1年前から自分でWSをしてきたものの結果がこれだと思うと中々に悔しい。自分の力を表現できなかったからこそ
もっと場数とインプットが必要だと気づいた。
WS中に配慮する声かけや補足として伝えた方がいいという思いやりの部分をもっと磨き上げるべきだと自分の足りない部分を知ることができた。

自分の課題が見えたとともに、自分の強みも1つだけ見えた。
それは、自分は1つのWSの中に、盛り上げる部分としんみりと落ち着きのある空間を声のトーンでその空気感が創れること。
メリハリがつけられることに気がついた。
みんなで楽しくやる作業のときは、自分が盛り上げにいく。
けど、最後に伝えたい部分では声のトーンを柔らかくして、落ち着きのある雰囲気にする。そうすることで、より想いがまっすぐに伝わる。
この強みに気づけたことは自分にとっての大きな発見だった。


自分の中にあった色んな感情

今回のキャンプで私は、色んな感情になっていた。
自分のワークがどんな場になるのかというワクワク感と緊張。
みんな1人1人の想いが自分に乗っかっているという感覚。
WSが終わったあとの自分ができること、役割がわからなくなる感覚。
目の前に一生懸命で、1人1人と向き合えているかという問い。
自分がこの場にいることでの自分自身の学び。

色んな感情があった1日目。
私が1日目を終えての振り返りのノートには、色んな感情、思ったことが思ったままに3ページびっしり書かれている。
そこで、最後にでたことばが「自分が楽しむ」ということ。
1日目の「大丈夫かな」という不安が私が表面的になっている要因だった。
だから、明日は、誰かのためを主語ではなく、「自分のために」楽しもうと決めた。そうノートに書いて、みんなが待っている夜の語り部屋に足を踏み入れた。

自分の思考を整理したからか、みんなととっても楽しく話すことができた。
あの夜にみんなと等身大の私で語れた瞬間がすごく好きだった。


これも何かのタイミング

私は、今回自分が感じている葛藤や考えを話すという時間が少なかった。
その分、みんなからたくさん吸収できた部分があった。

2日目にたまたま、こみほと話す時間があって。
私は、そこで自分が運営というのを抜きにして、大学生の自分が日常で思っていることをことばにできた時間があった。
あのとき、あの時間にこみほと話せたことは、たぶん何かのタイミングで。
必然性を感じた。
私が日々これからの進路という選択の決断に悩んでいる。
自分の選択でありながらも、家庭という壁があり。
自分では決まっているはずなのに、心から納得できない自分が悔しくて。
それを相談したら、意外と答えをシンプルだった。
私にとって、社会人になるということは、自分がした選択でそれを正解にすること。正解にしなければいけないにとらわれていたように思う。
だけど、そうではなくて、自分がした決断でも「辞める」という選択もあるということ。「仕事を辞める」という選択はハードル高いように見えて、意外と低い。だからこそ、自分がやりたいと思ったことで選択をする。
「自分の人生だからね」とこみほに言われた。そのことばは背景は違えど似た境遇にあるからこそ私に勇気を与えてくれた。


私の目に映った景色

2日目の午前中。
こみほと話して、こみほを見送った後、私は、みんながWSをしている部屋に戻った。
みんなは、ちょうど「自分の宣言」をしている最中で、チームメンバーのみんなから応援メッセージをもらっているところだった。
私は、そのみんなの表情をみて、ことばにできない感情になり、涙が溢れてきた。なんかこう、自分の肩の荷が下りた感覚。
みんなのこのキャンプに対する期待をきいていたからこそ、私もみんなの想いを一緒に持っていた。50人分の想いを。
それが一気にほどけていくような感覚だった。
私の目には、みんなの表情が活き活きして見えて、これがみんなと創った場なんだと思えた。そして、そう思えたことが嬉しかった。

みんなの前で自分の宣言をするチャレンジWSで手を上げた3人。
わかちゃん、うっちー、まな。みんながこの2日で感じたことをことばにして、勇気を持って話している姿に涙した。

そして、みんなとハグをしているときに、もらったことばに涙した。
みんながハグをして想いが溢れている瞬間が好きだった。


みんな自身が自分で自己開示したり語ってくれた対話をしてくれたからこそあの空間ができた。
運営だけではできなかった、あの空間をみんなと一緒に共有できたことが幸せだった。


自分との戦い

このプロジェクトの運営に決まった2月。
私は、そこから自分との戦いであった。
教育に興味があるが、そんな経験値もない中で一緒に廃校やろうとまおくんに声をかけられて始まったあのとき。
私は、キャンプが終わるまでずっとプレッシャーに押しつぶされそうだった。一緒にやってくれるスタッフは、私よりも経験値もあって、行動にも起こしている。そんな人たちに囲まれながらも少しでもその期待を超えようとしていた。
福岡の廃校教育キャンプに行ったときに、自分にこんな場が創れるのかという問いがあり、自分に自信がなかった。

今回の運営も、かおるとまおくん。私の憧れている2人。
2人の場づくりを受けていたからこそ、そこの場に立つのが自分でいいのかそれをずっと思っていた。
みんなが音楽室で宣言WSをしているときに、まおくんから「みき、頑張ったね。参加者と1番向き合ったのはみきだったと思うよ。」と言われて号泣。(泣かされました。。笑)
あのとき、私は少しだけ自分に自信がついた。
目をそらしたくなって、スタッフとして向き合えないときもあったけれど、
最後まで悔いなく終われてたこと。
あのときの涙は、全力で向き合ったからこそ出てきた涙だった。


幸せな時間と空間

今回、本当に参加者に恵まれ、自分自身もみんなからたくさんのことを吸収したし、一歩踏み出して殻を破って自分自身を変えた瞬間に何度も立ち会えた。そこからたくさんの勇気をもらった。
あの空間は、みんながいてこそできた空間でした。ありがとう。


運営のかおるとまおくん。
2人と一緒に場づくりができて私は本当に幸せだった。
3人でいじり合いながら、誰が早く寝るか争った時間も、かおるがウクレレ弾きながら歌った時間も、前日廃校で準備をしている時間も、キャンプが終わっておつかれさまー!って言い合った時間もどれもかけがえのない時間だった。
2人にたくさん助けてもらったからできたWSも、あの廃校教育キャンプも。私が挑戦できて、自分だけでは見えなかった景色を見せてもらえた空間でした。2人ともありがとう。


最後に

今回のキャンプで、自分が場づくりで携わったからこそ見えてきたものがたくさんあった。
そして、みんなを見ていて、私もまだまだもっと磨くところがたくさんあるなと思った。
また日常に戻るけれど、この2日間で出逢えた人たち。感じたこと。みんなが私にかけてくれたことばをパワーに変えて、また走り出す。
今回で、私はもっと大きなものに挑戦したいと思ったし、やってみたいを形にしようと決めた。来年の3月までに必ず形にする。
自分の秘めていた可能性にも気づけた旅でもあった。
もっと成長します。今日の自分を少しでも超えられるように。
日々楽しみながら学びと自分に向き合っていきます。


ここまで読んでくれてありがとうございました。



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