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ことばのオト。

「ことば」ってなんだろう。
最近、こんなことをよく考える。

理由は、2年前から私のことを見てくれている先輩に
「みきは、言語化する力がついたね。ことばの定義が自分の中でしっかりできているのが伝わってくる」
と言われたことがきっかけで考えるように。

なんか、1ヶ月前くらいから色んな人に、「みきの紡ぐことばが好き」と言われることが増えた。
なんでだろうと思ったときに、この1年の思考力だと思っている。
常に、一歩踏み込んで、自分の内から湧いた感情がなんでそう思ったのかを問い続けてきた。
あるいは、色んな人に深掘りしてもらった。
毎日の感情をことばにする習慣がついてきたおかげか
いつの間にかそう言ってくれる人が増えた。



「ことば」


私は、「ことば」というものは、経験からくるものだと思っている。
その人が見た景色や感情、何を感じたのか。考えたのか。
それをことばにすることで、「ことば」に深みがでるのかな。
だけど、最近わかったこと。
じゃあ、経験だけを積めば、深まっていくのか。
そうではない。
経験というものをどれだけ思考して、自分と向き合って
言語化したか。それが「ことば」になる。
だから、行動だけでなく、思考の方が大事なのではないか。
最近思っている。

今日の1つ1つの行動に対して、考え、思考し、
何を感じたのか。どうしてそう思ったのか。
そんなことを毎日考えていたら、疲れるのかな。

私は、ノートに殴り書きして、夜に1日を振り返る。
そこで、ことばにする。
記憶に残るように、記録しておく。



「ことば」の力って大きくて。
人を動かすエネルギーにもなれば、ときに殺人鬼にもなってしまう。
ことばのパワーって人を時に変える。


「ことばにする」
単純そうにみえて。意外と難しい。
自分の感情と1つ1つ向き合って紡いでいく。
そんな先に、何が待っているのか。

私は、何かを語るときに、自分自身への期待も込めて話す。
こうであってほしい。
だけど、真逆のことばが出たりもする。
そこには、見えない感情があって。
それを隠すのが上手になるととても厄介。
その厄介な気持ちとも向き合わないといけない。
それを知らなければ、素直に思ったままがことばとして出たかも知れない。

でも、それも「自分であること」
最近は、コンプレックスもアイデンティティだと思って、受け入れている。
自分を創ってくれている”感情”と向き合い、思考して
ことばにする。



ことばにした先に、あるもの。


それがなにか。自分ではまだしっくりくる答えが見つかっていない。



私は、なんとなく「言葉」よりも「ことば」がすき。
形だけでなく、オトも。


「ことば」

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