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当館収蔵の作家紹介vol.1  東郷青児 (とうごう せいじ)

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当館には近代の日本美術を代表する作品を数多く収蔵しています。展覧会を通じて作品を見ていただくことはできますが、それがどんな作家、アーティストによって生み出されたものなのか、またその背景には何があったのか。それらを知ると、いま皆さんが対峙している作品もまた違った感想をもって観ていただけるかもしれません。
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この連載の初回に登場するのは洋画家の東郷青児。当館ではこの画家の「花を摘む女達」(1937年)を収蔵していますが、当館が収蔵する作品群の中でも特大のスケール。異国を思わせる風景と時間を特定させない背景色に浮かぶ女達の表情に観るほうの私たちが吸い込まれそうな作品です。これが描かれたのは東郷青児が40歳の頃。優男のような風貌だった東郷青児はパリへ留学したこともありダンディで社交的でもあったと言われていますが、一体どんな人物だったのでしょうか。

「花を摘む女達」1937年 東郷青児作 三木美術館蔵      ©Sompo Museum of Art,21039

鹿児島生まれだが、東京育ち。青山学院の中等部を卒業。「青児」の青は、青山学院の青。東郷青児を語る上で無視できないのが竹久夢二である。

青児が10歳ほど年上の夢二に会ったのは青児が17歳ごろで、まだ無名であった。当時から売れっ子であった夢二。彼のグッズを扱う店「港屋絵草紙店」で下絵描きを手伝っていた。同じ時を過ごしたからだろうか? この2人、タッチは全く異なるが実は共通点も多い。女性の甘美さや憂いのある表情を傾けた首のしなやかなラインで描く。そして芸術をお高く留まったものにすることなく、大衆に受け入れられる形で表現していく。だから、画家と言うよりデザイナーやイラストレーターに近い。包装紙からマッチ箱まで色んなものに描いている。晩年は、二科会のドンと呼ばれ、自らではなく弟子たちが描いた作品も多く、真贋の見極めが大変である。

左/「LONGENGAGEMENT」右/婦人グラフ新年号表紙 1926年 いずれも竹久夢二作 いずれもパブリック・ドメイン

そして、ともに恋愛遍歴の話題に事欠かない。この二人が出会った店は夢二の妻「たまき」のために作った店。夢二は自分の妻と青児の関係を疑い、妻の腕を刺すという事件も起こしている。この頃の写真を見ると分かるが、超がつくほどイケメンなのだ。プレイボーイ伝説はこれだけではない。ある女性と結婚式を挙げた翌月に違う女性と心中事件を起こしている。この時のいきさつをインタビューされているが、その後そのインタビュアーと同棲を始める。それが宇野千代であり、そのインタビューを元に小説『色ざんげ』を書いている。この宇野千代とも離婚し、心中を起した女性と再婚したりもしているのである。ワイドショーがあれば、毎日特集が組まれてもおかしくないほど自由奔放な?情事である。

作品を見てみると、描かれた女性は、皆、気高いが物憂げな表情には寂しさと強さがある。7年ほどフランス留学しているがその時に流行っていた、マリー・ローランサンの影響も感じる。そして同時代にピカソらが始めたキュビズムなども影響している。単純な円弧で描かれる腕やくびれたウエスト、陶器のように塗られた肌、冷たい感じの色調などには、見てすぐそれと分かる画風である。

東郷青児(とうごう せいじ)1897年ー1978年
1897年 鹿児島県鹿児島市で誕生
1914年 青山学院中等部を卒業
1916年 第3回 二科展にて受賞
1921年 フランス留学
1969年 フランス文化勲章を受賞

今回ご紹介した東郷青児の作品は当館を代表する作品として常時展示しております。
2022年11月30日(水)より絵画では人物画と当美術館の創業者が愛した那波多目功一氏、牧進氏の作品を展示いたします。また平行して「金と銀のきらめき」と題して金銀彩の陶磁器を展示いたします。
この機会に併せてご鑑賞いただければと思います。

          [企画制作/ヴァーティカル 作家解説/あかぎよう]


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