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歳を重ねたから美しい、という生き方

ドラッグストアの化粧品売り場には決まって、アンチエイジング商品と広告がある。

「本当に50歳?」とか「マイナス5歳肌」とか当たり前のように謳うコピーの中で生きてきたからか、「歳を重ねても若々しい外見でいなければいけない」という固定観念がいつのまにか体に染み込んでいた。歳を重ねても綺麗な女性として思い浮かぶのは小泉今日子さん。他にも綺麗な女優さんはたくさんいるのに、私はなぜだか彼女が最初に思い浮かんだ。

毎月欠かさず読んでいるananのコラム『スピリチュアル成就』。今月は、「年齢を重ねること」をテーマにした江原啓之さんの見解が書かれていた。若さと成熟について、江原さんはこう言う。

昔の人は、「あなたいつまでもお若いわね」と言われても、今みたいに喜ばなかったと思うのです。若い、というのは精神的な幼さや未熟さを指摘するもので、必ずしも「褒め言葉」とは限らなかったはず。

いつまでも枯れない植物がないように、人生も四季によって変化していきます。(中略)それなのに、「年をとるのが怖い」と感じるのは、自然の流れに逆らうようなもの。

江原さんの言葉はとても優しいなぁと思った。誰にとって優しいかって、歳を重ねていく未来を持つ、すべての女性にとって。

そもそも私たちは、歳を重ねるごとに細胞も老いていくように設計されている。私が今からどんなに若々しく老いるための努力しても、30年後には20代のような肌ではないだろうし、目はくぼむだろうし、しわは増える。

外見の若々しさのためにすごく頑張ればもしかしたら、「え、まだ50歳なんですか?見えないです〜!」と歳下の女の子に言ってもらえるのかもしれないけれど、きっと「50歳相応の美しさ」というのがあるはずで。

私自身は現在22歳、正直18歳を超えたあたりから誕生日を迎えるのが嫌だった。けれど江原さんのコラムを読んで、「ああ、きっと私は『女性の美しさに外見の若々しさは必須』という考え方に囚われていて、だから、誕生日が憂鬱だったんだな」と思った。「若さ」と「美しさ」を混同した結果、美しく老いる未来とその可能性を自ら狭めていたのだ。

「美しさ」とひとくちにまとめても、そこには内面と外見と成熟と若さという、どこを美しくしていくのかの選択肢がいつも広がっていて、どの部分を磨くかをちゃんと考えないと、美しく老いることはできない。

内面を磨くのと、外見を磨くの、どっちもおなじくらい努力できたらそれはとても素晴らしいことだと思う。けれど、私たちの時間は1日24時間平等で、そんなにお金持ちにならない限り、美しさのためにかけられる金額って限界がある。

限られた時間とお金の中で、外見の若々しさのためだけに奔走するのはちょっともったいない。「若々しくいたい」それはそれでひとつの欲求として素晴らしいと思う。けれど美しく老いるために、外見の若々しさ以上に年相応の美しさを身につける方法を模索したい。それは、「歳を重ねても美しいではなく、歳を重ねたから美しい」という、もうひとつの美しい生き方だと思うから。

そういえば、結婚と離婚を経験する小泉今日子さんの「熟年結婚」についての価値観はとても素敵だったなぁ、と彼女の成熟した内面の美しさについても思い出した。

自分で仕事や、生活する力を持っているから、「守って」じゃなくて、「一緒にいたいから」だけでいい。(小泉今日子)

彼女は、「歳を重ねても美しいのではなく、歳を重ねたから美しい」を代表するような女性なんじゃないかと、今は思う。

歳を重ねたから美しい生き方があることを知れば、来年も再来年もその先何十年の未来も、きっととても楽しみです。

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