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123天文台通りの下町翁 雑記帳~立川市富士見町 山中坂の悲劇~

新型コロナ感染が拡大する中、武蔵野に住まいを移して、ひたすら毎日、人気のない、町中でも川や緑が多い箇所をあてもなく歩くようにしている。
スマホの歩数計で見るとコンスタントに日に2万歩、時間にして3時間半程度を歩くことが日課になっている。長年生まれ育った町はビルにどんどん囲まれてしまい、息が詰まったことや住まいの老朽化も手伝って、都内でも少しでも緑や水の多い場所に移ろうと実行した変化のもたらしたおかげだ。
特にあてもなく歩いているだけなのだが、どちらに行けば発見がありそうかの見当がついてくるのは心地よい。歩いていると目に入る風景、自然、鳥などの動物たちが、生まれてからずっと都会暮らしだった自分には、同じ東京なのに、新天地に来たかのように新鮮に目に映る。
とりわけ風景の中に、近世、近代の歴史、人々の暮らしを示すものが見つかると格別に心に響く。それが江戸時代の庚申塔や小さな街道であったり、悲しい運命をたどった人々の足跡を示すものであったり。それらが近代化、現代化、今でも進む開発のもとでも、地面、地形が記憶している跡形は染み付いていて、こちらの感度が澄んでいれば察知できるのだ。なにげなく通り過ぎてしまうこともあるような心持ちであっても、あれっ、何か後ろ髪を引いてくるような気を感じることがある。
2020年の大みそかの午後に立川駅から多摩川辺に歩いてみようと、町名に惹かれて歩いた富士見町の山中坂では、いったん坂を下ったところで、そんな気持ちになって、よくよく坂の様子を下から眺めてみると、勾配の壁面に祠と何か記載された碑文があることに気づいた。坂を引き返して見てみると、そこは太平洋戦争末期1945年(昭和20年)4月4日、全員で市民が42名、そのうち32名が子供で米軍の空襲で犠牲になった防空壕があったことを知った。

検索してみると、総務省のホームページ立川市内の米軍空襲による被害の状況は総務省のホームページにも記載されている。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_21.html
さらには立川市議や東京都議をされた酒井大史さんという方の立川市政チャンネルでも、砂川闘争、砂川事件と裁判の経緯、この坂での悲劇がわかりやすく解説されている。この酒井さんは2019年(令和元年)9月の立川市長選挙にも出馬され、僅差で当選できなかったことを知る。これだけ地元の歴史を冷静に理解されていらっしゃる方が、わずか35%弱の低い投票率で当選できなかったことは、奇異なことだとも思った。
https://www.youtube.com/watch?v=dTNhxmMf5HI






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