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「くだらなく」しているのは自分自身?

私の考えから出てきたことなのに、私自身、まだ納得できていないのですが私の会社の仕事が「くだらない」と感じているのは私自身のせいかもしれないと感じています。
半分正解で半分誤りなのかもしれません。

なぜ、誤りなのかというと、環境も自分自身も健全ではない状態では、コントロールが非常に難しい場面もあるからです。私の職場では、明らかに業務過多であるのに、上司も人事もそれを認めず、増員が行われていませんでした(休んでしまっているので、今は解りませんが。。。私、所属年数で言うと上から二番目だったんです。。。それでも、私の意見は聞き入れられませんでした。)。
それなのに、業務が過多であれば、「どの内容を」、「いつまでに」「どのように」完了させる必要があり、どの業務を手伝ってほしいのか報告するように、という指示しかもらえませんでした。業務の内容は定型的ではなかったので「どの内容を」、「いつまでに」「どのように」が明確に示すことが出来るのであれば、その業務は終わったも同然の状態なので、そもそもそのような報告や依頼は不可能な訳で、かといって都度、誰かに依頼を行うも、全て内容を上司に説明し、その後に協力してくれる人が割り当てられ(私の見たところ、その人もだいぶ侵されている(適用障害や抑うつ状態))、説明しながら進めてもらう(しかも定型的ではないので、一度説明したら、次の説明が不要という内容ではない)という状態のため、自分で進めた方が早く帰ることが出来る状態。「そもそも人が足りない」と3年ほど言い続けても聞き入れられず、適用障害の診断 → 約一年間、何とか通勤 → 出勤前に服用していないにも関わらずデパスを服用したときのような感覚を覚え、自分自身がかなり危険な防御反応を行っていることに気が付く → それに気が付いた妻が引き留める → 休み始めてから復帰が出来ていない。という状態です。
冷静に考えても、ひたすら「くだらない」としか思えません。

ただし、環境や自分自身が健全な状態であれば、正しい気もします。
私自身、認めたくはありませんが、自分が生きることを「くだらない」と思っている節があります。それ自体が「不健全」な状態なので、やはり、正しいのか誤りなのかが判断が付きませんが、自分自身が生きることが「くだらない」のであれば、当然、仕事も「くだらない」。もし仮に、私がトヨタやソニーに勤めていても仕事は「くだらない」と思っているでしょう。

整理できていないので、書いているうちに落としどころが無くなってしまいましたが、環境も健康状態も健全な状態であればという条件付きで、「くだらな」くしているのは自分自身という可能性があるかもしれない、ということを書きたかったのでした。ただ、その精神状態が不健全なので、やはり、誤りの可能性も五分五分、といったところでしょうか。
それであれば、「身になる」仕事をしたい(私であれば自転車や農業)と感じています。

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