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Day31―自閉症に関する文化人類学的考察

今回は文化人類学?認知考古学的トピック。

https://doi.org/10.1080/1751696X.2016.1244949

自閉的性質は、社会で生きる戦略の1つであるという主張。
記事の論調は考古学で、持論を展開している。

また、この論文は以下の記事で発見した。以下のURLではニュース的まとめ方をしているが、本記事ではいつも通りサマリーっぽくする。

背景

自閉症は社会的コミュニケーションの障害に特徴づけられる。
しかしそれは、コミュニケーション能力が重要である現代を生きる我々、ひいては協調的道徳性(collaborative morality)が重要な生存戦略となるホモ・サピエンスにおいて本当に不利なことであろうか。
考古学的エビデンスにより考察する。

主張と結論

自閉症の短所はコミュニケーションに問題があることであるが、長所として細部への注意に優れ、論理的に考える部分がある。それは旧石器時代においても、物体や匂いの弁別、モノの加工において役立ったと考えられる。
また、人間は約100,000年前辺りから、高度な技術を継承すべく、相互にコミュニケーションをとる社会を築いてきた。それは知識やモノの伝達が早くなる一方、軋轢を生みやすくなった。そのような環境で自閉的特性は、高度なコミュニケーションを発揮するのではなく、専門性のあるスキルを持つことで、他種とは異なるコミュニケーションのあり方を築き、人類全体の発展に貢献したといえる。
その証拠として、人類がモノの交換を始めたのは約100,000年前で、ちょうどその時期から特殊な加工技術なども生まれている。その背景には単純なモノの交換だけでなく、高度な加工技術も同時に発達したことが考えられる。

所感

同じような話として有名なものに、狩りで先陣を切ったのはADHDのホモ・サピエンスではないかという説がある。衝動性があるぶん、他の個体だと萎縮してしまうような場面でも勇猛果敢に立ち向かい、狩りを助けたという。この論文の主張はそれに似ているが、今の社会においても非常に示唆に富むのではなかろうか。
一方、このような主張は「発明王エジソンは学習障害だった」と同じようなニュアンスも秘めている。どういうことかというと「バカと天才は紙一重」理論と同じで、一部の天才的技術を持つ人間だけがもてはやされ、それを持たない自閉症者は必要無いという理論につながりかねない。どのような自閉症者も受け入れる社会を築くこと、そこだけは間違えないでほしいと願うばかりである。


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