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散歩の跡

筋金(すじがね)というより、鉄筋入りの頑丈な引きこもり体質なので、自宅待機は何も苦労がないのだが、いかんせん年齢には勝てないようで、じっとしていると腰が痛くなる。

ヘルニアの再発を恐れて、どうやら外に出ても良い範囲ということになっているらしい、広い道を選んでの散歩に出ることにした。

犬でもいればもっともらしいのだが、残念ながら愛犬は実家の仏壇で眠っているし、段ボール箱の捨て犬も昨今は見当たらないので、カメラを持って少しだけ自転車を漕いだ。

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しかしどうにも世界は大変なことになってしまった。

阪神大震災、地下鉄サリン事件、リーマンショック、9.11、3.11、東日本大震災ときて感染症。20代の頃、ファミレスで深夜に友人と集まり「自分たちが40とか50になる間に、戦争やなんやら、大変なことになってたらいやだなあ」と、ある意味真剣に、ある意味でてきとうに話していたことが現実味を帯びてきた。

しかも思ったよりゆっくりと。

いや、ゆったりと、というべきか。

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公園には人が集まり、コンビニのイートインでは主婦が「コロナが」とワイドショーをネタに話をしていた。スーパーの看板の方向には家族連れが何組も細い道を行く。

大震災や、大事故が起こったときに、現場をスマホのカメラでおさめて巻き込まれる大衆。なんだか映画のそんなワンシーンを思い出すようなゆるやかさ。でも、人のことは言えないかもしれないな、と右手に掴んでいるカメラを思う。

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街路樹や、玄関周りに置かれた植木鉢。肌寒さは続くけれど、着実に春を感じさせる緑や花は、人のパニックなんて知らない顔でいる。

このまま何かおかしな方向へ世界が傾き、人類がこの世界から消えていったら。それでも雨は降るし、水は流れて、花は咲くんだろう。それこそ、知らない顔で。

景観のための街路樹が、見る人を無くしてしまったら美しいのだろうか。

もしかしたら、玄関周りに植えられて放置された植物が主人を失い咲き乱れ、羊歯を伸ばし家を侵食するその姿こそ、美しい自然となるような気もする。

いや、生きているだけで美しいんだろう。人も、木も。たぶん。

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自然本来の姿なんて、今の日本で見ることはなかなかにかなわない。だから、自分の思う、イメージする美しさもどこまでのものかわからない。

だから、木の肌を見ることに最近は没頭することがある。これはごまかせない。自然だ。

入れ子構造ではないけれど、その表面は原生林のように複雑怪奇で美しい。小さな、認識でないような虫や苔や土が、都市のようにそのフラクタルを感じさせるような木肌を生きている。

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人の営みも俯瞰するとこんな感じなんだろうか、とはまるで思春期の考え方だが、ちょっと大人になったいまにして、改めて思ってしまう。

でも、ABC予想の解決なんてニュースをみると、いやいや人間というのはさすがにすごいものだ、なんてことも思ってしまう。

単純なような複雑なような、けれど母数を広げるほどその実態はぼやけて、まるで木肌をいく虫のようにも感じる。自分もきっと、その中の一匹のように生きるんだろうとも。

日が落ちてきて肌寒さを感じ、帰路に着いた。

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