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植物園と写真と

園と名のつくものが、結構好きだ。

でも、ぱっと思いつくのは植物園と動物園だけだけど。水族館は館だし。むしろ、美術館とか好きだし館のほうが好きかも。

とにかく、何か管理されて、誰かの意思を持って展示されている場所というのが好きだ。その展示方のうまい下手は意外とどうでもよくて、むしろちゃんとしていない方が面白かったりもするな、というときもある。

一番いいのは、家先の放置されたガーデニングだったりすると思っている。

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植物園に行った。

カメラを持っている人を多く見かける。誰かを撮ったり、展示物を撮ったり、楽しみ方はそれぞれで、その機材も様々だ。

スマホで地面に這いつくばるように苔を取る人もいれば、バズーカみたいなレンズで、何かを撮っている人もいる。

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自分も多分に漏れずに機材を片手に写真を撮りに行っているのだけれど、出来る限り「自分が見つけた良いと思ったもの」を撮ろうと考えている。

綺麗な写真や、綺麗な構図の植物や動物の写真なんていうのは、世の中にごまんとあって、たとえばgoogleに「紫陽花」や「ライオン」なんていれれば、自分が撮るよりも良い機材で、綺麗な構図で、時間をかけてレタッチした素晴らしい写真が出てくる。

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でも、その場所に生えている木の格好いい肌や、自身で感じた「気持ち悪い」「面白い」「なんだこれ」というその被写体の一部だったり質感なんてのは、どこのライブラリを探しても見つからない。

自分が写真を撮るなら、そういうのを撮ることに意味があるんじゃないか、と思っている。

もしかしたら、同じ性癖を持った同士が見つかるかもしれないけれど、そうなったら、がっぷりよつ。

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「いいよね」「いいね」

なんて共感し合うのがいい。今の時代の、楽しみ方だと思う。

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フィルム時代に比べたら、綺麗な写真を撮るというハードルはずいぶん下がったとはいえ、十万円近い機材と、現像するならソフトウェアの操作やPCが必要になる。

簡単とは決していえない趣味だが、それでもSNSにblogに個人ブランドの商品写真にと、日々見かけるもののクオリティというのはどんどん上がっていると思う。

とくに若い人たちの写真は、素晴らしい。

おじさん世代の自分たちなんかは、バシピンで、三分割構図で主題を右か左に寄せて! みたいに、図録のような写真を潤沢な予算の機材で撮っていけばいい(自分はお金ないからあれだけど)。

若い人との隔世なんてカメラの世界だけではないので、諦めるべきだ。

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いい写真とわるい写真という判断基準の境目はどんどんグレーになっていって、機材なんかスマホでも写ルンですでも、むしろチープならチープなほどよい場合もあって、そこにあるのは被写体との距離感や、その人が感じた輝きみたいな、一瞬の光景の切り取りという、写真本来の魅力になっていっている。

眩しいくらいにいい写真があふれている世の中に、写真をこうして表現する理由なんて、前述のようなフェティズムの延長線上にしかないような気もしている。

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自分だけにしか表現できない世界というのは、意外と身近にあるもので、ノウハウはその自分のフェティズムに近づくための道具でしかないというのが、理想的だと思う(商業写真は違うと思うけど)。

若い人の写真は、誰かとつながろうとしつつも、絶対的に自分の目線・距離をもった写真が多い。フィルターや加工技術は、処世術のように自然と身についているんだろう。

なにより、祈りのように、目の前の美しい(と自分が感じている)光景を楽しんでくれる人を想いながら撮る写真というのは、楽しいものだと思う。

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でもいつかそれも、おじさんたちのそれと同じようにテンプレートになっていく。

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