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エネルギー獲得の歴史~その恩恵と人類の変わらぬ性(さが)

再び、書籍「エネルギーをめぐる旅――文明の歴史と私たちの未来」を読んで考えたことを書きたい。

人類のエネルギー獲得の歴史

この書籍で自分なりに理解したことを、短くいうと、人類はまず「火」を発見した。それが人類のエネルギー獲得の出発点。
そして、人類は「農耕」を発明し、それにより、太陽エネルギーを効率的に利用できるようになった。
さらに「蒸気機関」、「電気」と人類は更にエネルギーを獲得し、エネルギーの大量使用を実現することができた。(詳細は同書P181)

そしてその結果、人類は(食料を得るために費やしていた時間を削減し)「時間」を得た。
また、食糧の大量生産が可能となり、地球人口が爆発的に増えた。
そして、資本主義の成長主義により、現代の人々が謳歌している経済的豊かさや、便利な世界が実現した、ということである。

エネルギー獲得による功罪

しかし、物事には功罪がある。

エネルギー獲得することで確かに、食は豊かになり、人口が増え、そして、技術の進展により、生活は便利になった。

しかし、ここにきて地球に負荷がかかりすぎていることがわかってきた。このままでは地球は人類を養うことが出来ないレベルにまで達してしまったのだ。気候変動問題だ。

この負の側面は焦眉の急の問題だが、解決の道が見えていない。エネルギーを獲得し続け、生活を便利にした結果、負の問題に対処することができず、人類は滅びてしまうのであろうか。

支配と被支配
人類のエネルギー獲得の歴史を読んで、「支配と被支配」ということを思った。

〇蒸気機関発明前の農業社会
「蒸気機関というエネルギー変換装置の発明」により、「奴隷や農奴によって担われてきた人的エネルギーを代替し」、結果的に、奴隷や農奴が解放された。

農業社会で力あるものとは、農作物を育てる土地を所有していた当時の貴族などの地主層であった。
人々を農作業に従事させることで、収穫した農作物から得られる富を独占し力を持っていた。

〇工業社会への変遷
しかし、産業革命により、社会が農業社会から工業社会に変遷することで社会構造が変わった。

農業の機械化により農業生産が増え、農業生産が増えたことで人口が増え、都市に人々が流れ込んだ。その多くが工場労働者となった。
劣悪な環境のなか、事実上の強制労働を強いられたのである。

貴族などの地主層にかわって、工場経営者が、人々を工場労働に従事させることで、製品の製造から得られる莫大な富を得、力を持つようになったのである。力を得たのは、大規模工場経営者であった。

〇現代
現代では、経営者による工場労働の強制労働は無いであろうが、大企業や超富裕層への富の偏在、経済格差、(社会を支えて下さっている)エッセンシャルワーカーの不当待遇など、富める者が富まざる者を事情上支配する「支配と被支配」の関係は、形を変えて存在していると思うのである。

いつの世の中にもあるのは、、経済的に力があるものが経済的に力がないものを労働力として支配する、支配と被支配との関係である。

農耕社会であれば、地主貴族が人々を農業労働力として使い、
工業社会では、工場経営者が人々を工場労働者として使い、
現代では、様々な会社の経営者が人々をサラリーマンとして使っている。(もちろんそのおかげで人々は雇用を得て、給与を得て、生活が成り立っている)

このように、形を変えど、いつの世にも、経済的に力があるものが経済的に力がないものを労働力として支配する関係、「支配と被支配」の関係があると思うのである。

力の源泉
では、経済的に力あるものとはなぜそのような力を得ることが出来るのであろうか。

農耕社会であれば、地主貴族は土地を所有していることが力の源泉となった。
工業社会では、新しい産業革命の技術に着目し、知恵と才覚で工場経営者にのし上がっていったのであろう。
現代でも、様々の会社の経営者は、様々な財やサービスを仕入れて、付加価値をつけて販売・提供することで利益を得る。

その財やサービスは、エネルギーが源泉となっている。

エネルギーの根源

では、そのエネルギーは一体どこからやってくるのであろうか。

すべてのエネルギーの根源は太陽エネルギーや地球から生み出されたものだ。
例をもって説明すると、食物の場合、我々人間は肉や野菜を食べてエネルギーを得ている。その肉のもととなる動物は植物を食べてエネルギーを得ている。そしてその植物自体は、太陽光のエネルギーで成長している。食物の観点でいうと、太陽エネルギーがエネルギーの根源なのだ。

また、資源の面でいうと、石油、石炭、天然ガスは化石燃料で、大昔の植物や動物の体からできている。同様に元は太陽エネルギーが根源だ。

電気の面でも風力発電の風も、水力発電の雨も、地球の恵みで、原子力発電には地球からとれるウラン鉱石を使い、地熱発電は地球内部の熱を使っている。

こにようにエネルギーの根源は、太陽エネルギーや地球から生み出されたものであり、全てエネルギーの根源は、直接的・間接的に、太陽エネルギーであり地球からの恵みといえるであろう。

「支配者」のエネルギー活用

そして、「支配と被支配」という視点で考えた時、支配する側は、財やサービスを販売・提供しているが、すべてはエネルギーが源泉となっている。そしてそのエネルギーは上述の通り、太陽エネルギーであり地球からの恵みが元だ。

見方を変えれば、支配するものは、いつの時代においても、太陽や地球から与えられたエネルギーをうまく使った者といえるのではないだろうか。

太陽エネルギーから生み出されるものを直接的に、超間接的に、利用・活用し、そして人々を使い、モノのサービスを生み出し、富を築く。

ここで、私は、分かち合いのない「支配と被支配」との関係は何とかならないかと思ってしまうのである。

エネルギーの根源の意思
太陽エネルギーによって、地球は成り立ち、地球の生命体も生存が可能となっている。太陽エネルギーは地球のエネルギーの根源。太陽エネルギーによって地球生命は生かされている。

太陽は圧倒的に、地球を、地球の生命体を生かす思いに溢れている。

その太陽によって生かされている地球に目をあてたとき、地球の表面に生きる人類は、いまだに、「支配と被支配」の世界が展開している。

太陽はこんなにも無償のエネルギーを与えてくれているのに、それによって生きる地球人類は、エゴが支配する世界となっているのだ。

何か矛盾を感じざるをえない。

地球人類を生かしてくれているエネルギーの根源の意思と、地球に生きている人類の思い、とが相反するのだ。

貨幣経済が浸透し、貨幣でモノやサービスを簡単に享受できる世界。
全てを貨幣価値に置き換える世界。
日々目のまえの生活を生き、「カネカネカネ」と目のまえのことに明け暮れていればそうなるのであろう。分かち合いなどなく、我先にと利益を追求する。そして「支配と被支配」の世界が展開する。

地球の未来

このままでは地球が持たない、と言われている。

しかし、この書籍でも言われている。

資本の神の呪縛からいかに自由になるか(同書P337)

やはり、「カネ」偏重の世界から脱却することが、重要だと思うのである。

すべての取引を貨幣価値に基づく等価取引として行い、取引相手との関係を都度々々完全に清算してしまっては、他社との係わりは深まってきません。たとえ大都会での暮らしであっても、あえて一部の取引にはギブ・アンド・テイクの不等価取引を持ち込んでみると、相手との関係に何かしらの変化が生まれてくるはずです。(同書P382)

ぜひ、それぞれにできる範囲で、ギブ・アンド・テイクの金銭を介しない活動を生活の中に取り入れていきましょう。そうした活動には、すべてを貨幣価値に置き換えていくことで力を得る資本の神の暴走を抑える効果が期待できるだけでなく、目指すべき未来である分散型社会との親和性も認められる、正しく一石二鳥の取組なのです。(同書P382)

私たちを生かすエネルギーの根源である太陽エネルギーは、万物を生かす思いだけである。

一方、地球に生きる私たちは拝金主義の経済活動に明け暮れ、すべてを「カネ」で精算する。

宇宙の摂理とは異なる世界に生きている、そのような仕組みを作ってしまった。

この書籍でも言われているように、分かち合い、生かし合いの世界が望まれているのだ。それが宇宙の摂理、太陽の生かす思いとも符合するのだ。

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この書籍の最後にも書かれているように、

人類は知恵の蓄積によって文明を輿し、巨大な散逸構造を作り上げた唯一無二の存在です。そして人類には「先見の明」があります。課題をみつけて改善していくことは、人類が最も得意とするとろこなのです。(同書P388)

人類には知恵がある。未来のために動き、創造していく力がある。

拝金主義の「カネ」偏重の世界ではない、「支配と被支配」の関係から脱却した世界。太陽エネルギーの万物を生かす思いに同調するような生かしあいの世界に地球人類がなるにはどうしたらいいのか、を考えていきたいし、何か具体的な行動を起こせないものかと模索している。


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