そう言えば今日は母みけの命日だった/介護の日々はもう思い出したくない💦
みけ子の実の母(母みけ)は、62歳の時に最初に脳梗塞で倒れ、その後22〜3年は要介護生活だった。左半身が麻痺し、介助を受けながら自宅で生活していた。しかしその後の介護生活が長引きそうだったので、何年か後にはみけ子の自宅マンションの同じ階の賃貸の部屋に移り住んでもらった。
下の子がまだ小学低学年の頃だった。夜中に何度もトイレ介助を行わなければならず、夜は寝られない、昼間は眠くて仕方がない。当時扶養範囲ギリギリまで仕事に入っていたパート先では、よく居眠りしていたかと思う……(すまん)
玄関から玄関まで10メートルも離れていない同じマンション内だったけど、自分は自宅にはほとんど戻るヒマがない。チョロチョロとみけ子に纏わりついていた下の子も、要介護の両親の部屋で一緒に寝起きしていた。つまりは「子連れ住み込み女中さん状態」だったわけで💦
あの頃の自分の状態は、もう本当に冗談にもならなかったわ。日常生活の全てに人の手を借りないと過ごせない母みけの毎日。要介護で過ごした20数年は母みけにとって不甲斐ない日々だったろう。どうして自分が?と思っただろうけど、飢餓の時代ならば生き延びるための優れた体質特性(節約遺伝子保持者)でも飽食の時代に、食べることが好きな人が長く健康に生きるのは困難だわ。
母みけの不幸は自分が要介護状態になった時、どのような生活を送る事になるか、明確にイメージできなかった事なのかと思う。よく私には「介護が必要になったらみけ子の世話になりたい(お嫁さんの世話にはなりたくない)」と言っていたけど医療がこんなに発達しシステム化された現在、一度要介護になると死にたくても死なせてもらえない。そのことをちゃんと理解していなかったのだろう。頼られたこっちもたまったもんじゃなかったよ。何度も救急搬送されては入院し、その後に復活。最後の方は「もういい加減、これでお終いになってくれ」と心の中で思っていたよ、みけ子は。
今の世の中、要介護になっても自分が病気になっても、中々死なせてもらえない。過度な医療は必要ないし、健康なのに無理やり病気をほじくり出すような健康診断も自分には必要ないと思っている。一度要介護になっても特養ホームの入居は何百人待ちなどザラ。ただ、世の中のシステムが過剰な医療を回して行くように出来上がってしまっている。
そんなシステムに巻き込まれないように、医療とか介護とか人の終末期のあり方とか、自分は本などであれこれ読んでいる方なんだよね。生命維持装置をつけていないと生きられない状態とか、自分は真っ平ごめんだよ。そろそろ、尊厳死や安楽死についても議論を始めた方がいいと思っているのよ、自分は。
要介護で生活全てに人の手が必要になったら、自分ならさっさと死にたい。そんな状態になってまで生きたいなんて思えない。
母みけの命日の今日、改めてそう思った。
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