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昭和40年代、家の本箱に百科事典が並んでいた

自分は昭和40年代初頭に小学生になった。木造の古い校舎の建物と給食に出された脱脂粉乳のミルク。みけ子はこのほんのりあったかくて薄甘い脱脂粉乳のミルクが結構好きだった。よく出されたメニューには鯨の竜田揚げなんてのもあった。米飯給食なんてまだ出現するはるか前だよ。

古びていて歩くとギシギシ鳴る廊下、風が吹くとガタついてうるさい音がした窓。冬になると教室の真ん中に石炭ストーブが置かれた。日直さんが毎朝寒い中、石炭を取りに行ってその日使う分の補充をした。遠い昔の昭和40年代の話だ。

当時は各家に電話なんて無かったなぁ。電話ってお店などの特別な場所にしかなかった。電話をどうしてもかけたい時は、電話がある家に借りに行ったりした。電話ボックスが出現したのはもっと後の事だった気がする。少なくともその当時、自分の家の近くにはなかった。何だかもう、遠い異国の話のように感じる。隔世の感があるわ。

そんな昭和時代に生まれ育ったみけ子。公務員宿舎の鉄筋コンクリート造りのアパートに住み、近所の公立小学校に通った。勉強が出来る訳でもなく、どこにでもいる落ち着きのない小学生だった。しかしね、その当時の大して広くもない家の本棚には分厚い百科事典がズラリと並んでいたよ。

きっとあの当時の流行りだったのだと思う。昭和も40年代になり、庶民も食べる物や住むところも一通りのレベルにまでなった。テレビや冷蔵庫、洗濯機も揃った。後は文化的教養を身につけたい。いや、教養が身に付いているフリだけてもして、カッコつけたい(笑)当時、友達の家に遊びに行っても書棚にはほぼ必ず分厚くて重そうな百科事典が並んでいたよ。あ、後は文学全集とかかな。

実際に読んだり調べたりというよりは、室内の調度品の一つとして置いてたんじゃないだろうか。きっと流行りだからと、両親はセールスマンの営業に乗ってローン(月賦って言った)を組んで購入したんだと思うわ。

みけ子は子どもの頃から少し変わった子だったので、その百科事典をパラパラとめくり面白そうな写真や挿絵が描いてある項目を、興味本位で読んだりしていた。偕老同穴(かいろうどうけつ)と言う呼び名の、変わった生態の海の生き物の事を知ったのは、家に置いてあったその学研の百科事典からだったと思う。知らなくても全く人生に影響のない、いらん知識だ(笑)

その学研の百科事典は、最後の巻が「新しい造形と美術」という題で世界の名画の解説やデザインや色彩の事などが詳しく載っていた。当時にしては美しい印刷のフルカラーで割合豪華な事典だった。結構面白くて、みけ子はこの美術のことを書いた百科事典の1冊を暇にまかせて舐めるように見ていた記憶があるよ。

百科事典は当時のリビングの応接セットとか、キャビネットの中に洋酒を並べたりと同じ「見栄えのする物を置いて少しでも豊かに文化的に見せたい」ってことの一環であるね。

今はあんなに場所塞ぎで分厚くて重い百科事典なんか置かなくても、ネットであっという間に調べものは出来る。見もしない本を置いて、狭い家を一層狭くするなんて馬鹿げてるし。モノを少なくスッキリ暮らす事が、良しとされる世の中だ。

昭和の時代の狭い2DKのアパートで、庶民が少しでも豊かで文化的なものに近づきたいと、憧れを持っていた頃の話だ。



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