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コリョサラムGoryeo saram#09/アゼルバイジャンのバクーにて#09

20世紀の始まり、革命ロシアは輝いて見えた。
我欲な支配者に苦しめられる人々はマルクス主義者の美句に酔った。ロシアが唱える全面的農業集団(コルホーズ)は労働の最も理想的な姿に見えたのだ。1930年㋂㏡、スターリンは「成功による幻惑」論文を発表した。彼は最も理想的な生産システムとして「農業の集団化」を唱え、これを猛然と推し進めた。しかし、あるのは建前と理想論だけだ。沢山の集団農場は凶作に襲われた。みんなが頑張るなら、俺は手を抜く。みんなで同じ量の仕事をするなら、なるべく仕事量の少ない方法を取る。強制的な搾取者が無ければ、相互監視能力だけでは、作業量は極端に落ちる。
現場は飢饉に陥った。
スターリンは、1930年6月7月の第16回党大会で、ソビエトの工業化と農業集団化の勝利について自賛し、さらなる目標が達成できないのは「ブルジョワ反革命分子による妨害だ」と断じている。彼は全面的農業集団(コルホーズ)を放棄しなかった。コルホーズこそ、相互監視による徹底的なチクり合いが最も効果的な生産法だったからだ。それでも初期のコルホーズからは数100万あるいは1000万という離脱者出たという。資料には100戸-110万戸(一戸あたり5人とすれば500-500万人)という数字が並んでいる。
スターリンは1932年㋇㏦に「社会主義的財産保護法」を作り上げた。これは「社会主義的財産」とみなされたものへの罪を厳罰化し、全財産没収をともなう死刑、または10年の自由剥奪というものである。また1932年末からスターリンは国内パスポートを義務付けた。ルホーズ農民には国内パスポートが交付されなかった。農民は他に仕事を求めることが出来なくなった。
農民はコルホーズに縛られた。無数の人々が悪政によってばたばたと死んでいった。それでもスターリンは、コルホーズを止めなかった。1932年から1934年にかけてウクライナ、北カフカース、ヴォルガ流域、カザフスタンで1000万人近くの人々が死んだといわれる。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました