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甲州ブドウに繋がるユダヤ系渡来人の話08

ところで。最初から余談ですが・・北宋は都を4つ置く四京制を敷きました。東京開封府、南京応天府、西京河南府、北京大名府です。ユダヤ人街のあった開封を"東京"と呼んだのです。今でもこの地を東京と呼ぶ人はいる。
この「ユダヤ人が住む街・開封のことをヨーロッパ社会が知ったのは17世紀に入ってからです。
発見者はイタリアのイエズス会司祭、マテオ・リッチでした。リッチは、禮拜寺と呼ばれているシナゴーグがあったとバチカンに報告しています。・・このときの開封の名前は東京だったんです。面白いですねぇ。
江戸の呼び名が東京に替るとき、西の京に対する東の京だったのか、それとも薩長のスポンサーだったユダヤ財閥の意思だったのか・・闇の中ですが、興味深いです。

さてさて。「甲州種」のDNAの75%がヨーロッパ種であり、25%が中国の野生種なことについて、想像の翼を広げています。
「日本へ朝鮮経由で渡来した秦氏の一部はユダヤ人だった。それも原始キリスト教だった。」という節・・この説を最初に唱えたのは明治時代の言語学者「景教博士」と云われた佐伯好郎でした。
彼は1908年の論文「太秦を論ず」の中で「秦氏=ユダヤ人景教徒」説を様々な例を挙げて説いています。彼は3、4世紀当時の西アジア(アフガニスタン、キルギス)に存在した弓月国に注目し、ここが弓月君(秦氏)の出身地だと言ってます。そして秦氏が国内で関わった宗教的な建物や習慣に、ヘブライ語や旧約聖書の儀式・慣習・・ユダヤ文化、新約聖書的な教理が多く隠されているというのが彼の説です。
もちろん異論であり、いまでも正統的な学壇では認められていません。しかし示唆に富んでおり一笑にはできない。おそらく秦氏が景教(原始キリスト教)を日本へ持ち込んだのは間違いないでしょう。

中国へ持ち込まれた景教(原始キリスト教)はネストリオス派でした。
東方のコンスタンティノポリスを中心に活躍していた総主教ネストリオスを宗主とするのネストリオス派は、東方教会では、異端とされ排斥されました。そのためネストリオス派はササン朝ペルシャ領内へ拠点を移しています。

このネストリオス派ですが、なぜか当初から中央アジアへの伝道に熱心なのです。総主教ネストリオスは終始強い関心を東方へ向けていました。
ところがササン朝ペルシャそのものがイスラム軍によって窮地へ追い込まれる事態になります。そのためネストリオス派は遥か東を目指します。時の教皇イシュヤブ二世が長安へ宣教師一行を送ったのはAC635年でした。
唐の皇帝太宗は,西域との交流に積極的だったので彼らの布教活動を認めました。
すでにシルクロードを利用した交易は大きな産業へ育っており、その交易のキーパーソンはソグド人というイラン系の人々でした。彼らが原始キリスト教徒だったのです。つまりですね、実は教皇イシュヤブ二世が長安へ宣教師一行を送り込む以前に、もう・・・東京開封府にはユダヤ人集落があった可能性が高いということてす。秦氏の祖先は、ネストリオス派が来る前に既にその地に居たということです。そして教皇イシュヤブ二世の宣教師が到着する前に、東京開封府を旅立ち朝鮮半島へ拠点を移していたということです。

秦氏の祖である人々は、遥か西方から持ち込んだ「聖なる葡萄」を東京開封府で育てていた。教皇イシュヤブ二世の宣教師が到着する以前から、彼らはこの地で葡萄を育てていた。
しかし東京開封府は寒冷地です。ペルシャあたりから持ち込んだ温暖種のヨーロッパ葡萄は育たない。そこで同地で育つ葡萄への改良がおこなわれたのでしょう。日本へ持ち込まれた「聖なる葡萄」のDNA75%がヨーロッパ種であり、25%が中国の野生種な理由はこれだと断言できます。客観的な証拠はありません。しかしこれが正解だと僕は思います。
秦氏がAD400年ころに朝鮮経由で日本へ持ち込んだ葡萄、甲州種はこうやって日本へ辿りつきました。

さて。教皇イシュヤブ二世が長安へ送った宣教師ですが。太宗に公認されると、これを祝って781年長安に「大秦景教流行中国碑」を建立しています。しかし唐朝滅亡すると、その勢力は急速に凋落。宋朝/元朝と余命は保ったのでが、東京開封府以外の地では衰退してしまいました。

ちなみに(秦氏の裔である)空海が遣唐使に私費で参加し、唐の都長安に着いたのは貞元20年(AC804年)11月3日です。彼が長安に入った時、景教(原始キリスト教)は中国で最盛期の時だったのです。
ここでも大きな疑問がムクムクとアタマを持ち上げてしまいます。秦氏の一部である丹の民が、その子・空海を何故自前の金を使ってまで唐へ送り込んだのか。そして何故一年で帰国させたのか?空海が私費で買いこんできたモノの中に何が有ったのか?僕は想像を逞しくしてしまいます。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました