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OKINAWA1970 #1 1970年12月19日。僕は19才だった

フィリピン・チャールスゴードン基地を飛び立った輸送機Douglas C-124がKadena Air Baseに着陸したのは、そろそろ日が沈む頃だった。嘉手納に降り立った僕は、いつものように官給のワンショルダー・バッグだけで、他に何も荷物はなかった。米兵のピックアップに来た車に同乗させてもらってU/S/O(米軍慰問団)用の宿舎に着くと、ダークスーツと手紙が置いてあった。
「着替えたらEnlisted Clubに来るように」と書いてあった。マネージャーの三舟さんのメッセージだ。

1970年12月19日。僕は19才だった。
大学の授業費稼ぎで、春夏冬の長い休みは、毎回米軍キャンプ回りの仕事をしていた。その年も、早々に学校は切り上げて12月初めからキャンプ回りの仕事をしていた。MD(mostdangerous)な地域の仕事はギャラが良かったので、僕は三舟さんに頼んで前線回りばかりをしていた。「クレージーだよ。そのうちボム!だぜ」バンド仲間には、よくそう言われていた。でも僕はピアノだからね。身軽なもんだ。持って運ぶ楽器なんか何もない。逃げるときは、いつだって一番最初に逃げられるんだ。いつも、そう返事していた。

Enlisted Clubに行くと、三舟さんがいた。
「おはようございます。どうしたんですか?」と僕が言うと、三舟さんが笑った。
「たまにはな。俺だって演るさ。それにコザには知り合いがいるんでな。たまには顔見せに行こうと思ってな。」
三舟さんは、キャンプ回り専門のマネージャーを始める前は、南里さんのトコのベースだった。何回か聞いたことが有るが、なかなかパワフルなプレイをする。しかし彼は進行性小児麻痺を負って生きている。僕が出会ったころは、車椅子半分/松葉杖半分だった。

その夜の演奏は凄かった。
まるでチャーリー・ミンガスのように、三舟さんのベースは全ての曲の上に君臨した。
僕はエキサイトした。そしてしまいには、ボロボロになるほどヘトヘトになった。
しかし演奏が終わっても、三舟さんのハイテンションは落ちない。ステージを片付けながら「行くぜ。町へ出るぜ。」三舟さんが言った。夜中の12時をそろそろ回るころだったと思う。

Enlisted Clubを、松葉杖の三舟さんと二人で出ると、すぐ横にジープが停まっていた。ハンドルを握っていたのは僕と同じくらいの年の黒人だった。彼は基地の作業服を着ていた。

三舟さんはジープに乗りながら「ティム・ホーキンズ。俺の恋人の息子だ。」と紹介した。僕は、彼と握手した。
「ほんとはタモツって言うんです。有と書いてタモツ。でもみんなティミーと言う。」彼が流暢な日本語で言った。
「名前を付けたのは俺だ。でもタネを付けたのは俺じゃない。なんやら・ホーキンズとかいう男だ。でこいつは、ティム・ホーキンズさ。これから行くのは、こいつの母親のところだ。」三舟さんが煙草を吸いながら言った。
「ママには言っときましたよ。今夜は三舟さんが来るって。そしたらピアノ弾きは連れてきてよ!ってました。いつもピアノ弾きをスクラップにしちまうベースだから!って。」ティムが言った。三舟さんは「ふん」と鼻で笑った。

ジープは第二ゲートを出ると、そのまま空港通り走った。そしてゴヤ十字路を左折して、コザ交差点へ向かった。少し手前の本町通り(銀天街)に入る。その奥が照屋だ。いつも通り慣れた道だ。
キャンプで働いているジャズ屋は、コザの町へ出れば必ず照屋に行く。パークアヴニューやゲート通りには行かない。あっちはロッカーの町だ。
当時、コザの繁華街は白人の町と黒人の町に、はっきりと分かれていた。照屋は、まさに黒人街だった。道に沿ってAサインの店が並ぶ。Aサインは米軍が、米兵の立ち入りを認めているという意味だ。Aサインがないところには、表向き米兵は入れないことになっていた。
そのAサインとネオンの看板が並ぶ通りに、客待ちの女たちも所在なげに立つ。・・何人も。。沖縄の浅黒い彫りの深い女たちだ。僕は、彼女たちを見ると、いつもマニラの歓楽街に立つフィリピーナを思い出した。
ネオンの闇の淵の中で生きる、浅黒い顔に笑顔と嬌声の仮面をつけた女たちだ。
「Bar88」は、軍道24号線(国道330号線)と軍道13号線(国道329号線)の交差点から少し奥へ入ったところあった。白いモルタルの窓もない店だった。ドアのところにAサインとBar88という赤黒いネオンサインがだけがあった。すぐそばにペラペラなワンピースを来た女が煙草を吸いながら壁に寄りかかっていた。彼女は、僕らが乗ったジープが店に横付けすると、ユラリと体を動かした。しかし我々を見て客になりそうにもないなと思ったようで、そっぽを向いてまた煙草を吸い始めた。
その女の様子を見ていた僕に、ティムが言った。
「今夜は土曜日ですからね。米兵が多い。それにクリスマスも近いし、帰郷できない連中が、欲求不満を抱え込んだまま町へ繰り出してきてる。稼ぎどきなんですよ。」
「性の防波堤という奴さ。RAAの奴らならそう言う。」三舟さんが言った。

戦後すぐに、銀座にRAAという団体が作られた。RAAは上陸してきた米兵の歯牙に日本女性が襲われないために、国の肝いりで作られた売春組織だ。奴らは"我らは性の防波堤"と自称した
「東京じゃタワゴトだったが、ここじゃ現実だ。」そう言いながら、ティムが開けたドアの中に、三舟さんは松葉杖の音を立てながら入った。僕もその後に続いた。

Bar88店内は、紫煙と喧騒とジャズが渦巻いていた。
ステージを見ると、ピアノとスネアとハイハット、シンバルだけのドラムセット、それと大きなギター・アンプ、ベース・アンプが有った。演奏しているのは黒人だけ。突風のようなConfirmationを演っていた。猛烈に巧い。全員、米兵だった。客も黒人兵ばかりだった。
僕は度肝を抜かれた。キャンプ回りをして二年目だったから、基地の傍にあるアフターアワーズの店はそれなりに知っているつもりだった。
僕自身も、突然上がってきた米兵に「代わりに弾いてもいいかい?」と言われて席を譲ったら、とてつもなく素晴らしい演奏でビックリするという目に何回か遇っていた。しかしBar88は、そんなレベルの話ではなかった。
「徴兵されたジャズマンで、ここを知らない奴はいないからね。オキナワに寄れば、みんな必ず此処へ寄るんだ。」
大音量に負けないように、ティミーが僕の耳元で怒鳴った。

僕らは、ステージ横のバーカウンターに座った。
グラスが並ぶバックバーを背にアフロヘアの中年の女性が立っていた。彼女が笑いもせずに、僕ら三人の前にグラスを置くと、グランダットをドバドバと注いだ。カウンターにグランダッドが飛び散った。僕らがグラスを持つと、手際よく濡れたカウンターを拭き、手品のように自分のグラスをカウンターの下から出した。
「おかえり」彼女が怒鳴るように言った。笑わなかった。でも三舟さんは終始ニヤニヤしていた。よっぽど居心地が良いらしい。
ティムが僕の耳元で言った。
「オフクロだ。」
僕はマジマジと彼女を見た。しかし彼女の目には僕は映っていないらしい。完全に無視された。

演奏が終わった。次の演奏が始まりそうになった間隙に、彼女がステージに向かって指笛を吹いた。そして三舟さんを見た。
「おやりよ。」と言った。



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました