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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩6-10/ディジョン#10

https://www.youtube.com/watch?v=kth03_HUvig

美術館の前、リヴェラシオン広場でお茶した。
「ここはロワイアル広場ってた。いまはリヴェラシオン広場。ブルゴーニュ公のための騎馬隊が居たところだ。それこそフランス革命の時に徹底的に燃やされてね。名前もアルム広場に変えられた。真ん中にルイ 14世の巨大な銅像があったそうだ。見事に壊されている」
テントの付いたカフェで、エスプレッソが出た。なかなかよろしい。
「ここで1858年にディジョン主催で万国博覧会が開かれている。

リヴェラシオン広場って名前を変えたのは、ナチスの占領から解放されたことを祝ってだ」
「ブルゴーニュも沢山の方が亡くなったんでしょ」
「機械を纏った戦争だったからな。まさに戦争の産業革命だったから、殺戮の量は桁違いだった。とくに自分の土地で戦った戦争だったから、その傷は本当に深かったと思う。
その意味ではブルゴーニュはいつも戦争の場に自分の身を晒した土地だ。
さっきの話の続きになるが・・1363年にブルゴーニュ公国は実質的に没落した。支配者はヴァロワ家になった。国王の弟フィリップ豪胆公になった。彼は意欲的な・・ある意味貪欲な男だった。フランス国王に慣れなけりばブルゴーニュを対抗できるほど巨大にしようとした。彼の支配のもと、ブルゴーニュは領地拡大の抗争をひたすら続けたんだ。さいしょのターゲットはフランシュ=コンテだった」
「フランシュ=コンテって聞いたことないわ」
「ブルゴーニュの東側、スイス国境にぶつかるまでの所だよ。ジュラがその一部だ」
「あ、私が好きなジュラ♪」
「フランシュ=コンテは、巨大な産業があった。塩鉱だ。サラン=レ=バンだ。今でも製塩の工場がある。フィリップ豪胆公はこれを支配下に置いた。
同時に・・いまのベルギー、オランダ、ルクセンブルクに触手を伸ばし、フランドル、アルトワやノール平野とピカルディ平野を自分のものにした。では・・なぜ、フィリップ豪胆公はこれらの土地を手に入れようとした?」
「分からない。支配欲?なんでも自分のものにしたかったの?」
「いやちがう。生産力だよ。
ボーヌからマコンまでのような平野部/低高原部は、云うまでもなく葡萄畑から生まれるワインが膨大な利益を産みだす。そしてヴォージュ山脈からジュラ山脈、スイス国境までに至る高原部/山間部には、サラン=レ=バンのような塩鉱山そして鉄鉱山あるいは銅のような非鉄鉱山が豊富にある。森深い地域は林業が盛んで、伝統的な冶金技術を持った人々が一杯いた。彼はそれを我が手に納めたんだ」
「すごい人ね」
「ん。しかしナンシーの戦いで不遇にも戦死した。1477年だ」
「ナンシーの戦い?」
「ロレーヌ公国のナンシーという町がある。その郊外で、ブルゴーニュ公シャルル豪胆王とロレーヌ公ルネ2世との間で起きた戦争だ。この戦いでフィリップ豪胆公は戦場に立った。そして戦死した。この彼の戦死で、ブルゴーニュの躍進は停まったんだよ」
「戦死?自分が出て行って戦う人だったの?」
「うん。そういう時代だ。
漁夫の利を得たのはフランス国王ルイ11世だった。彼はディジョンを占領した。こうしてブルゴーニュ公国は名実ともにフランス領となった。
彼らはフィリップ豪胆公が血と肉で手に入れたソーヌ渓谷(シャロン、マコン)からブルボン ランシー、オータン、オセールそしてシャティヨン シュル セーヌの森林に覆われた広大な地域、モルヴァンの丘、シャロレーの牧草地まで、すべて我が物にしたんだ。それは厖大な利益を産みだす地域だ。ルイ11世はこれらを全て濡れ手に粟で手に入れた・・という訳さ。
・・ところでシャルル豪胆王にはマリーMarie de Bourgogneという一人娘がいた」
「あら・・シーズン2ありなのね。ドラマな話になりそ(笑)」



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました