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コリョサラムGoryeo saram#11~おわり/アゼルバイジャンのバクーにて#11

アゼルバイジャンBaku。最終日に歓談会が有った。その席で再度「姜さん」に出会った。僕はGoryeo saramについて不見識だったことを詫びた。彼は笑った。
「80年以上も前の話です。歴史に埋もれてしまうのは仕方ないですね」彼は言った。
「ニコライ・イヴァーノヴィチ・エジョフが極東沿岸部の高麗人を狩りだしたのは、ただ単に猜疑心だけではなかったように思うのですが?」
僕がそう言うと、姜さんはおや?という顔をした。そして頷いた。
「機能不全に陥っていたコルホーズを維持するために各地から集められた人々は・・ロシアに点在する少数民族へ偏っていたんですが、農業の技術をもっていた人々は少なかったんです。だから結局はコルホーズの維持は難しかった。その意味でも高麗人は特異でした。彼らは農民でした。おそらくですね、最初の強制移住が37年に実行された後、スターリンはそれに気づいたんだと思いますね」
「それが戦後に至るまで、中央アジアへ強制移住が続いた理由ですか?」
「ロシア人になった高麗人は従順と国に従った。反抗的ではなかったんですが、それでもコルホーズへ狩り出され続けた理由は、それですね。間違いないです。1948年になると、モスクワで教練を受けた高麗人系の中尉が、金日成と名乗りだしてに朝鮮民主主義人民共和国を建国しました。この朝鮮半島北部に起きた事件で、ロシア国内の高麗人の強制移住はほぼ完全に立ち切れになりました」
「ロシア系高麗人は金日成に従った?」
「すべてではなかったでしょう。確執はあったはずです。・・従ったというならば、そうです。ロシア系朝鮮民族は金日成に付きました。米国の傀儡政府でしかなかった南朝鮮と戦った。・・いずれにせよ、金日成のクーデターが結果としてロシア国内の高麗人の強制移住を止めたのは間違いないですね。・・父は。我が家がカザフスタンへ移されたのは戦後でした。金日成によるクーデターの直前でした」
「・・そうですか。父上の艱難辛苦ご推察いたします」僕は頭をさげた。姜さんは微笑んだ。
「最初の強制移住から10年近く経っていましたから、カザフスタン側でも受け入れ態勢は出来ていたようです。我が家は幸い地獄を見るような事態には追い込まれませんでした。特に父は鉱夫として優れていたので、最初からその道へ送り込まれました。我が家は農民として強制移住じゃなかったんです。鉱山技術者として仕用されたんです」
「僥倖です」
「・・たしかに。我が家は大変だったが、悲惨ではありませんでした。
・・ところで、マイクさん。あなたは朝鮮人の気質をどう思いますか?」姜さんは僕を正視して言った。
「僕の出会った朝鮮系の人々は、義理堅く勤勉で、自分自身を伸ばそうという方が多かったです」
「ありがとうございます。・・そうです。朝鮮民族は勤勉で我慢強く、家族を大切にし、家族単位で向上心を維持する人々です。そして体制や規範には非常に忠実で、自分の職務に良心的に取り組みます。したがってどの地に有っても、朝鮮人は頭角を現します。カザフスタンでもそうでした」
「なるほど、それが今のコリョサラム/高麗沙羅の姿なんですね」
「はい。・・実は、大きな曲がり角はペレストイカでした。コルホーズが崩壊した後、大半の高麗人は都市へ移住しました。あのとき、コルホーズへ押し込まれた少数民族の大半は自分の土地へ戻ったんですが、高麗人は留まったんです。終生の血を中央アジアにしたんです。そして今の今に至るまでカザフ人とコリョサラムの間に抗争は有りません。溶け込んだんです。高麗人は、同地で子らを育てた。それが今の我々を産み出しています。私は高麗沙羅ですが、カザフスタン国民なんです」
「すばらしいです」
「カザフスタン共和国と大韓民国は1992年1月28日に国交を樹立しました。経済で両国は深い繋がりを持つようになりました。もちろん橋渡しは我々が全力で打ち込んでいます。・・この話も・・」彼は周囲の人々を指した。「今回のSPCはその一環です」
「すばらしい。姜さんとご一緒出来て僕は光栄です」僕がそう言うと、彼は笑いながら握手を求めてきた。
「私もです。ぜひ、マイクさん。カザフスタンを訪ねてください。単一民族だけで出来上がっていない国家が、如何にバランスよく出来上がっているかを見に来てください」彼が言った。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました