a Day in the Manhattan#21/1994いざりのジョー
前に「ちびのジョー」の話を書いたので、そのまま「Crippily Joe」の話も書きたい。Crippily Joeは黒人のホームレスだ。彼は両脚が無い。木製の手作りの車椅子に乗っている。上半身は筋肉隆々で黒光りしており、眼光鋭い。30代半ばだろうか。ベトナムで両脚を失ったという人もいたが、実際のところは誰も知らなかった。
彼はいつも地下鉄6か1で物乞いをしていた。器用に地下鉄に乗ってくると、黙って車内を木製の車椅子を自分で漕ぎながら進む。そして椅子に坐っている者に黙ってヌッ!と手を出す。手のひらを上に向けて。そして鋭い眼光で相手を見る。これをやられると、大抵の人はビビって、幾ばくかの小銭を渡してしまうのだ。貰うとCrippily Joeは黙ったままニヤッと笑う。そして次の坐っている者のところへ移動する。1980年代初めの話だ。僕は何回か彼を地下鉄1で見かけた。
僕にとって80年代は揺籃の時だった。家内と出会い、二人の娘を授かり、三人を守るためだけに没頭した時代だった。NYCは邯鄲夢と化していた時でもある。それでも仕事で、あの街を訪ねることは何度も有った。そんなときはいつもミッドタウン・イーストに在った日本人在紐の連中がタムロしているbarに寄った。
80年代終わりの事である。
ある遅い晩、そのbarへ行くと、NYCで現地ツアーの会社をやっているFが、いつものように僕の傍へきた。
「Crippily Joe、知ってるかい?」と言った。
「ああ。地下鉄の、だろ?」
「うん。最近、見かけなくなったんだ。」
「どっか、施設に入ったんじゃないのか?」
「ならいいんだけどな。最後の頃は、見るかげなく激痩せしてたからな。・・ところで。あいつに彼女が出来た話、知ってるかい?」
「いや。しらない。」
「だよな。お前がNYCに来なかった頃の話だからな。」
Fが話し始めた。
いつも独りで物乞いをしているCrippily Joeに、ある日突然、彼の車椅子を押す女が一緒に付いてくるようになった。ジョーより若い白人の女である。
どうやら少し知恵遅れらしくて、ジョーがいつものようにヌッ!と手を出してくる間も、そっぽを向いてボォッとしていたという。それでもホームに二人でいるときは、仲睦まじく、ジョーも終始笑顔を浮かべていたという。何人もそんなジョーを見ている。
そんな彼女を、いつのまにか乗客たちはMariaと呼ぶようになった。
そのMariaが妊娠した。お腹が大きくなってからもMariaはCrippily Joeの木製の車椅子を押して、二人で物乞いをした。幾何かのお金をジョーに渡すとき「おめでとう」の言葉を言う人も多かった。しかしジョーは変わらなかった。無言でお金を受けとり、受け取ったあとにニャッと笑うだけだった。
臨月が近づいたころ。Mariaの姿が消えた。物乞いで歩くのはCrippily Joe独りになった。乗客たちは、出産のためだろうと、全員が一人合点した。
「でもな。その頃からCrippily Joeのあの隆々な筋肉が落ち始めたんだよ。」
「どうして?」僕は聞いた。
「わからない。わからないけど・・ジョーは一年余りで、ガリガリ・ボロボロになっちまったんだ。そして・・いなくなったんだよ。」
「いなくなった?」
「うん。いなくなった。もう地下鉄にはいない。色々な噂が流れたよ。見てきたような噂も流れた。いやな噂もな。」
「いやな??」
「ああ。MariaはAIDSだったという噂だ。臨月でERに飛び込んで、ようやくそれが判った・・という噂だ。」
「ほんとうの話かい?」
「わからない。でも独りで物乞いするようになったCrippily Joeの痩せ方は普通じゃなかったよ。それに少しずつ鬼気迫る雰囲気になって行ったとこも尋常じゃなかった。」
Fは大きくため息をついた。
NYCは都市伝説に満ちている。Crippily JoeとMariaの愛の結末も、ただの都市伝説であることを、僕はそのとき強く祈った。