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北京逍遥#06/簡字繁字という薄氷のこと

天壇は北京の南東側にある。明代永楽18年(1420年)に作られた中国最大の壇廟である。清代の乾隆によって大幅に改築された。いま僕らが見ているのは乾隆の作品である。南に「圜丘壇」「皇穹宇」北に「祈年殿」「皇乾殿」が建つ。それを「丹陛橋」が繋ぐ。「皇穹宇」には皇帝の位牌を祀る。

僕が行きたいと名前も出さないので、通訳兼ガイドがしびれを切らしていった。頤和園を散策しているときである。
「見たいものがない」僕が即断すると、通訳兼ガイドがオタオタした。
「実はね。フィレンツェへ行ってもローマへ行っても、教会周りはしないんだ。見るべきものはなにもないから・・あるのは建築屋と金を出したやつが自慢たらたらに作った豪華絢爛自慢大会と、内装屋が芸術でございますと言って作った壁画や像があるだけだから」
ほんとはそれに、全部ネタがキリストなんでヘキヘキすると加えたかったけど・・そこまでは言わないでいた。
「天壇に見たいものはないし、散策したいほどの公園でもない。ここ(頤和園)のほうがはるかに秀逸だ。各所に歴代王朝の気持ちが残っている」
「・・・んんん、そんなもンですかねぇ」と通訳兼ガイド君、不満そうにしていた。
「タオを追証してみたかったら壇廟を見て歩いても仕方ない。資料の杜を歩かないと」
「タオ・・ですか」通訳兼ガイド君が感慨深げに言った。
彼は・・言うまでもなく共産党員だ。共産党は唯物一神教なので、他の宗教を認めない。党員になるには、いわゆる一般的な信仰はすべて止めなければならない。ところが・・中国製共産主義はタオだけは例外的に黙認している。まあそれほど深く、中国人の精神世界に結びついてるということだろう。タオを完全否定すれば先祖を敬うことも出来ず祖母祖父とも疎遠になってしまう(いまの日本人みたい)なので例外的にタオについては黙認という姿勢を取っているのだろう。
「タオの本質は"聖人が唱える道の教え"だろ?宗教といういうより"人の道"を語ることだ。儒教もそうだ。ただしタオは色々獣神が跋扈するから、より古(いにしえ)を感じさせる。しかしまあ・・毛沢東なんぞの写真を大きく掲げちまう、謂ってみれば偶像崇拝体質を共産主義は内包してるからなぁ。モスレムたちほど神経質じゃないのかもしれない」
「それ・・私以外の前で公言しないでください」と彼が真剣な顔で言った「とても通訳できない。通訳したら私も危ないことになる」

実はこの日の前日、夜の食事会でしこたま酔っぱらった僕が大失言をしてしまった。それを彼は指したのだ。
それは簡文と繁文のことである。僕が調子に乗って「毛沢東は中国が実は嫌いなのではないか? 簡字を公用にすれば、中華の文明は足元から壊れる。判っていて、そうしたのではないか?」と言ってしまった。
酒席が一瞬凍り付いた。あ・不味いことを言った。そう思った。その時、同席していた軍の高官が哄笑したのだ。そして言った「大丈夫だ。あと200年もすれば元に戻る」
その一言で全員が大笑いした。無理のある大笑いだが、実はこれで事なきを得たのだ。
くわばら・くわばらってぇやつ。
「・・そうだな。不用意だな、最近、北京にも君にも狎れが出て不用意な発言が多い。申し訳ない」僕が言うと彼がこわばった顔で笑った。
「いえいえ、お話を聞いていると考えもしなかったことが多くて、とても勉強になるのですが・・勉強になるとは思わない輩もいますので」
「講座の中でも、かなり言いたいことばっかり言ってるけどな」
「いえ、聴講生は全員党幹部の子息ですから、世界が見えてます。だから先生のお話の真意も見えてますから、誰も不快に思ったりはしないんです。でも‥そうでない人もいる。とくに会席の場には・・です」
「なるほど・・ありがと」

「ところで・・天壇はやはり行かれませんか?実は先生が何を観られてるか、私はレポートを出しているんです。天壇は訪問先のひとつに加えた方がよろしいかと思うのです」
「・・なるほど。行こう。次回の休みの時に行こう」僕がそう云うと通訳兼ガイド君が明るくなった。
「ありがとうございます」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました