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銀座グランフルー・ワイン会/ジゴンダス04

「オランジュ公の時代。此処には修道院があった。」ルイ・バルオールは言います。「聖コスムスを奉ろう修道院だ。」
聖コスムスは初期キリスト教の聖者です。双子の兄弟ダミアンとともに医師として多くの人々を救いました。彼らは東方教会系で広く敬まれていた聖者で、そのことでこの地が神聖ローマ帝国の領土だったことが知れます。もちろんこの辺りもシャルマーニュによって平定された地ですが、後に神聖ローマ帝国のものになり、オランジュ公国として1713年まで続いているのです。
ジゴンダスの西、ローヌ川の畔の街ベルトランが首都でした。

北東に聳え立つ奇岩「ダンテル・ド・モンミライユ」のせいでしょうか。オランジュ公の時代、ジゴンダスには修道院が幾つか建立されてます。現在でもノートルダム・デ・パリエールの礼拝堂やノートルダムドプレバヨン修道院の跡地などが残ってます。(前述しましたがジゴンダス村の中心にあるのは聖カタリナの教会です。彼女もまた東方教会で信仰された聖女です)
ちなみにGigondasという村名ですが古名はJocunditasでした。Jocunditasつまりjoie allegresse。「大いなる喜び」ですね。信仰の地に相応しい名前です。

ルイ・バルオールの畑の真ん中にある聖コスムス&ダミアンの修道院も当時建立されたものでした。しかし長い間廃墟として放置されていたといいます。
「1927年に大祖父がチャペルの復元をした。今の形に再度整えたのは父だ。うちのエチケットに書かれているチャペルの絵は、父が書いたものだ。」
修道院ですから葡萄畑を持っていた。葡萄はおそらくアロプロゲス族が東方/黒海周辺から持ち込んだ寒冷対応種だったに違いありません。ローマ帝国の時代(東西に分断される前)、皇帝はこの中央アジアから移住してきた一族に、南ローヌ川右岸でワインの製造を許可していたからです。おそらくその葡萄がそのまま残ったに違いないと僕は考えます。ながい間、ジゴンダスで使われる葡萄の多くはカリニャンだったといいますから、まさにその直系がつい最近まで利用されていたということになりますね。
しかしAOCとして整備されたジゴンダスで使用されるのは、典型的なローヌワインと同じGSM(
グルナッシュ・シラー・ムールヴェードル)です。シャトー・ド・サン・コムChateau De Saint Cosmも主体はグルナッシュです。
グルナッシュ80%/シラー10%/ムールヴェードル10%程度の配合で利用されています。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました