古名アスカンバス/サンテミリオン村歩き#20
「西暦300年ころからローマでキリスト教が国教化すると、当時属州最大級になっていたボルドーへ、キリスト教徒たちは精力的に布教活動を行った。幾つもの教会/修道院がこの時期に出来上がっている」
「ああそういえばボルドー博物館にたくさん当時のものが飾られていたわね。でも教会はシャンパニュー地方みたいに多くなかったような気がするけど」
「ローマは西ゴート王国にボルドーを奪われているからな。その時代に壊されたものが多い。それもあるが、当時建立された教会/修道院はジロンド川左岸に多かった。それはボルドーがあまりにも泥の町だったからだ」
「そんなに酷かったの」
「ん。ジロンド川右岸は、川を流れてきた土砂で埋もれていたんだ。交易の場所としては幾つもの支流が有って至便だったけどね、住むには大変だった。"泥の町ボルドー"の悪評は、長い間残ったよ。干拓されて今のように整備されるには1000年近くかかっている」
「そんなに!」
「ジロンド川下流メドックがオランダ人によって干拓されたのは1500年ころからだ。それまでメドックは広大な湿地帯だった」
「オランダ人が干拓したの?」
「ちょうどオランダが通商的に急成長したときでね、彼らはワインも商材として扱った。彼らによってロアール川流域/ジロンド川流域はワイン生産地として資本投下され、大きく姿を替えたんだよ」
「おらんだたちがねぇ~びっくりねぇ。
でも、今はもうその面影はないわね」
「でもない。川岸を見ると、相変わらず泥で埋まっている。ピレーネ山脈から膨大な土砂を運ぶジロンド/ガロンヌ川の機能は変わっていない。その意味ではメドックでワインの生産が始まるまで、ボルドーワインは大半が、ドルドーニュ川の左岸。ドルドーニュ川とガロンヌ川に挟まれたアントル・ド・メール地区。そしてもっと内陸部で生産されたものだったわけだよ」
「なるほどね」
「サンテミリオンで開拓された葡萄畑はその背景から産まれたんだよ。ドルドーニュ川左岸は、リブリヌを越えたあたりから丘になり始める。ボルドーから北東へ40kmくらい離れた小高い丘は最適な葡萄生産地だったんだろうな。中央山地の西のはずれだからね、長く広く石灰岩質の大地が続いている。ワインに最もふさわしい地味だった。当時の呼び名はアスカンバスAscumbasだ。
「サンテミリオンが暮らすようになるのは700年代よね。それまではアスカンバスと呼ばれていたわけね」
「ん。いまアスカンバスの名前がのこっているのはChâteau Ascumbas(Dartus 6, 33330 Vignone)だな。ドルドーニュ川をもう少し遡ったミクローMicouleauの傍にあるワイナリーだ。
http://www.croissance-grands-crus.fr/
「シャトーアスカンバスのアスカンバスは町の名前なの?」
「いや、地名ではない。Château Ascumbasがあるのは、ドルドーニュ川をもう少し上流に行ったミクローMicouleauだ。アスカンバスは古名だが、ワインの地としてはとても有名だったんだ。銘醸地として早く知られていてね、300年代半ばにボルドーの詩人デキムス・マグヌス・アウソニウスDecimus Magnus Ausoniusが、近在の銘醸地としてアスカンバスの名前を挙げている。実はアスカンバスはそれなりに知られていたんだよ。それが聖エミリオが隠棲したことで彼の名前に換わった」
「だれがそうしたの?」
「わからない。おそらく彼の奇跡に縋った人々が此処をSaintEmilionと呼ぶようになったのかもしれない。エリノアールの頃にはサンテミリオンと呼ばれるようになっていた。アンジュー帝国時代、城壁にこの村が囲まれる頃にはもう誰もが此処をサンテミリオンと呼んでいた」