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3月10日の記憶/炎の雹塊、雪積む帝都に落つ#08

3月9日「MeetingHouse2」実行の前夜。出発直前の兵士に、壇上からカーチスルメイは訓辞を垂れた。
「諸君、酸素マスクは不要である。そんなものが必要なほど高空は飛ばずに爆撃せよ!」と・・そのルメイの言いぶりにパイロットたちが露骨に難色を示すと、ルメイは壇上から「うるさい!いちいち文句はいうな!命令に従えばいいんだ!」と怒鳴った。

通常の8000m上空からの投擲ではない。3000mである。ゼロ戦による迎撃も対高射砲の迎撃もまともに食らう高度だ。図体のデカいB29は格好の標的である。パイロットの間には、ルメイが幕僚から「低空で飛ぶことで僚友機が撃墜される確率が多くなるで、その作戦は反対だ」と言われたとき、昂然と「兵隊は本土から呼び寄せればいい」と嘯いたという話が、漏れ伝わっていた。パイロットは猛烈に不満を抱いていた。
そのうえ、作戦機には当初カーティスルメイ自身が乗るはずだったのに、土壇場でトーマス・パワー准将に変更されていたのだ。「あいつは自分は安全地帯で高みの見物か?!」これがよけいに兵士全員の不満になっていた。
葉巻をふかしながら壇上で傲然と構えるカーチスルメイを全員が苦々しく思っていた様子は目に浮かぶ。

それでも作戦は予定通りの時間で実行された。出撃したのは、第73、第313、第314の3個爆撃航空団325機のB-29爆撃機である。コースは前回のようなブラフはなしで、直接関東平野へ直進するルートである。途中まで低空で移動しレーダによる発見を回避する作戦が取られた。

この日、関東地方は強風に晒されていた。対空レーダーが倒壊しそうなほどの強風だった。それが仇した。日本側はB29の来襲を早期発見できなかった。実は同日22時ごろ、正体不明の機体が飛来していた。すぐさま空襲警報が出されたが、その機体はなにもせずに房総から沖合に消えていった。なので空襲警報は解除になっていた。そして10日0時、房総半島最西端の洲崎対空監視哨がB29の爆音を耳で確認(レーダーではない)これを第12方面軍に報告したが、その時には既に325機のB29が東京上空に到着し、焼夷弾の投擲を開始していた。初端で日本は、完全に遅きに失したのだ。既に警戒網でさえ機能不全に陥っていた・・というわけだ。

石川手記を見る。
「3月10日 土曜日 晴風 風位北
探照燈の光芒は銀色の敵機を捕え、その周囲にいくつかの高射砲弾の炸裂するのがよく見える。来たなと思った瞬間、江東地区の夜空が真紅に染って大火災の発生を知らせた。
私は急いで屋上から防空本部室に入ると、正面の大管内図に青赤の豆ランプが本所、深川、江戸川、浅草地区に無数に光っていた。
原警務課長の前に行って、これから現場へ急行する旨を報告すると、課長は私の手をしっかり握って「そうか行くか、今夜の空襲は今までとは違っている。充分気をつけてな、死ぬなよ、元気で帰ってくるんだぞ」課長は部下思いで常に部下の身を案じておられたが、こんなことを言われるとなにか異常なものを感じた。
すぐ裏庭の車輛班にいき何回も猛火の中を私とくぐり抜けてきた老朽のシボレーにエンジンをかけて出発した、オートバイの伝令も飛び出して行った。
昭和通りをフルスピードで飛ばしていると、消防自動車や警視庁警備隊の輸送車が、警察官を乗せサイレンの音をひびかせて追い抜いていった。
浅草橋の交差点までくると、前方は炎々とした大火炎が渦を巻いて凄絶そのものそして両国橋を渡って避難してくる人人人、それを整理誘導する警察官の府高い声、泣き叫ぶ婦女子や警防団員らの叫声などが聞えて、その混雑は筆舌につくせない有様だ。自動車はもう1歩も進めない。
やむを得ず自動車を交番横に止めて、両国橋をこちらへ避難してくる人をかきわけ、まるで激流をさかのぼるような気持ちで、漸く両国警察署の玄関までたどりついた。
周囲は猛火の壁に囲まれ、熱風に煽られ、眼も開いておられない。空を仰げば醜敵B29は巨大な真白い胴体に真紅の焔を反射させて低空で乱舞している。そしてこれでもかといわぬばかりに焼夷弾の束は無数に落下してくるのだ。」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました