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甲州種葡萄2000年の感傷旅行#01

甲州種は、とても謎に満ちた葡萄です。少しその話をしたい。
甲州種は古くから、今の埼玉県・勝沼域上岩崎と下岩崎で生食用に細々と栽培されていた葡萄です。
そのルーツは、奈良時代の僧・行基が薬師如来から授かったものという説。あるいは平安時代末期に雨宮勘解由という人物が見つけたものという説があります。甲府盆地西部の大師東丹保遺跡から中世の野生種ぶどうが出土していますから、1000年以上前から、この地に甲州種の葡萄は有ったと見るべきでしょう。しかしその出自は全く歴史の闇の中に紛れています。・・わからない。
ところが2013年。酒類総合研究所がそのDNAを調べたところ、とんでもないことを発見してしまいました。実は、甲州種は日本原産の地葡萄ではなかったのです。ヴィティス・ヴィニフェラ種(Vitis Vinifera)と呼ばれているヨーロッパ種だったのです。もう少し正確に言うと。。ヴィニフェラ種のDNA75%と中国野生種25%のハイブリットだった。
これは驚天動地の大事件です。
日本の中央部の山地に、なぜか唐突に1000年以上前からヨーロッパ種の葡萄があったという話ですからね。つまり・・となると、奈良・平安の御代に、ヨーロッパ種の葡萄が誰かによって、何れかのルートを通って日本へ持ち込まれたということになってしまう。
これはとんでもない話です。まぁ伝説をそのまま鵜呑みにしないとしても、埼玉県・勝沼域上岩崎と下岩崎という狭い地域で、維新以前から栽培されていたことは事実なので、これをどう解釈すればいいのか??頭を抱える話です。まったく直接的な資料は何もありません。歴史の黄昏の中に沈んでいる。
だから。。。何の縛りもなく、その伝搬ルートを思い描くことが出来るわけですね。これはチャンス! 笑笑
ここはひとつ思い切り空想の羽を広げて、甲州種と呼ばれているヨーロッパ種葡萄の、2000年に亘るセンチメンタル・ジャーニーを妄想してみましょう。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました