見出し画像

ボージョレー・ヌーボーただいま到着!/beaujoLais nOuVEauに秘められたLOVE#19


画像2

1975年、ルイ・フェレの小説が出ます。タイトルは「ボージョレー・ヌーボーただいま到着!」11月15日解禁の日にパリ郊外のレストランに集まった男たちの話です。この本は大ベストセラーになりました。おかげで一気にボージョレー・ヌーボーの名前は、フランス全国に知れ渡りました。

画像3

幸いにも当時、観光大臣はボージョレー出身の代議士ゲラール・デュクレーでした。彼はこの僥倖を利用して国がらみでボージョレー・ヌーボーを大いに宣伝しました。これにTVやそのほかのメディアも相乗りをした。先頭立ってボージョレー・ヌーボーを連呼したのは、著名な司会者ベルナール・ピヴォです。彼はボージョレー・カンシェの副市長だった男でした。こうして「田舎のお祭り」だった、ボージョレー・ヌーボー解禁は、一気にフランス全土を挙げたイベントへ変身を遂げたのです。


そのすべてをジョルジュ・デュブッフがコントロールしていたわけではありません。しかし常にその中核に、彼がいたことは間違いない。ボージョレー・ヌーボーというビジネスモデルがシステム化され、巨大になっていく過程のなかで「ヌーボーとは彼を指す」と云われるようになりました。

パリで、ロンドンで、アムステルダムで、ニューヨークで。等々等々。世界の主要な都市で11月の第三木曜日とその前日は、ヌーボーの解禁を祝う大イベントになりました。人々は浮かれ騒ぎ、新しい美しい色のワインを痛飲する。これが見事に定着しました。確かに考えてみれば、秋のジビエのシーズンから、クリスマスの間には、イベントと云えるものは何もなかったのです。その隙間にボージョレー・ヌーボーはピタリ!とはまったわけです。


それと特筆すべきは、極東の国・日本でも、このボージョレー・ヌーボーのイベントが大いに受け入れられたことです。仕掛けたのは、ジョルジュ・デュブッフ=サントリーのコンビネーションです。これにマスコミが乗った。ちょうど戦後の復興から高度成長期に入った時です。マーケットは新しい商品を望んでいた。そこにボージョレー・ヌーボーは、やはりピタリ!とはまったわけです。


こうしたイベントには、それを支える広告・流通・そして確実にその日までに商品が出来上がっていなければなりません。その三位一体が具現化することで、ボージョレー・ヌーボーは世界中に安定出荷されるようになるのです。そのためには統制された巨大資本の関与が必要であり、商品の完全管理が必須です。自然発生的に群雄割拠したネゴシエーターの集まりでは、そんな芸当は出来ません。まったく別の論理と方法を君臨させなければ不可能です。そしてそれが出来たからこそ、ボージョレー地方はボージョレー・ヌーボーという商品を先頭に立てて大躍進し、豊かになることが出来たのです。

まさに護送船団方式ですね。一糸乱れぬシステム化です。 ボージョーレーは、それを現実化させたのです。 

画像1



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました