台湾考: 孫文/蒋介石そして蒋経国への系譜 Kindle Editio
家人の口ぐせは「なぜ?」と「どうして?」である。
どうしても森羅万象の裏側にある理(ことわり)を識らずにいられないらしい。
実に様々なものに対して「なぜ?どうして?」を連発する。まるで言葉を覚えたばかりの幼女のように真っ直ぐ迷いもなく答えを求めるのである。
僕はその「なぜ?どうして?」に結婚以来40年晒されてきた。
無論答えられるものもあり、答えられないものもある。
答えられないと「なぜ、答えられないの?」とくる。口ごもっていると「なぜ、くちごもっているの?」とくる。
彼女は僕が知らなそうなことは、僕に「なぜ?」とは聞かない。僕が答えを持っているであろうことだけを問う。だから僕が口ごもると、重ねて「なぜ?」を言う。
僕が口ごもる理由の多くは、その「なぜ?」に答えるための背景があまりにも広大すぎで、事前知識がないと、単純に問いへ答えたとしても正しい理解が得られない・・であろうと思ったときだ。そんなときは「話が長くなる」と言う。
そうすると「いいわよ、長くても」と言うときと「あ、そ」と引くときがある。その塩梅は今だによく分からない。
今回の、台湾を訪ねてみようという話になったのも、彼女の「なぜ?」から出た駒である。
家人は僕にこう聞いた。
「うちのお客様を見ていてすごく思うのよね。台湾出身の方って、昭和の日本人みたいな気質よね。中国本土の方や韓国の方より近しいものを感じるわ。」
「ん。そうだな。僕もそう思うよ。」と応えたら
「どうして?」ときた。
「どうしてって・・」おいおいそれは、まるで鉈でぶった切ったような疑問だろ。正確に答えようがない。
「それに、とっても親日なんでしょ?」
「ん。東アジアで一番の親日国だろうな。」
「それって戦前は日本が統治していたから?日本人としての教育を受けていたからなの?
でも・・だったら韓国だってそうでしょ?満州だって・・」
「韓国という国は戦後作られた国だ。戦前戦中にはなかった。それを云うなら朝鮮半島と括るべきかも知れないな。たしかに朝鮮半島は日本だった。でも満州帝国は日本の領土ではない。統治もしていない。建国に深く関与したが、建前は別の国だ。」
「ふうん、で。私、思うのよね。なぜあんなに昔の日本人みたいなんだろう?って。それが教育のせいじゃないとしたら・・ルーツ?ルーツが同じなの?」
あ。疑問がそっちへ走ってくれた。内心ひと安心した。旧被統治国の嫌日/親日についての比較文化論を打てと言われたら・・こいつは大ごとだなと思ったからだ。
「んんん、ルーツかぁ。ルーツという切り口で見るなら、今の台湾にいる人々の98%は漢人だ。原住民は2%。もし原日本人に近しいグループを求めるなら、この2%の人々だろうな。彼らは、僕らが”隼人の民”と呼ぶ、古代ポリネシア人を始祖とするグループだから、同じルーツだと云ってもいいと思う。」
「2%なの?」
「ん。2%だ。彼ら台湾原住民について、日本統治だった時代、山岳部に居住する人々を”高砂族”。水耕に馴染み、平地へ居住するようになった人々を”平埔族”と呼び、さまざまな興味深い研究調査が行われている。そのレポートを読むと、彼の始祖と原日本人の一部/隼人の人々が極めて類似した風習を持っていることが分かる。確かに彼らの気質は日本人に近い。」
「でも98%は中国から渡って来た人なんでしょう?」
「ん。第二次世界大戦後、台湾に渡って来た漢人を外省人。以前より居た人を本省人と呼んでいる。現状でみると前者が86%後者は12%だ。」
「外省人?本省人?なぜ分けるの?同じ中国の人なんでしょ?」
「敗戦で日本軍が撤収したあと、中国本土から支配者として進駐してきた人々が外省人だ。本省人は被支配者だった。台湾原住民も同じく一緒くたに被支配者になった。」
「え~台湾って、日本が戦争に負けたから独立した国じゃないの??」
「マッカーサーの指令で、統治者がいなくなった台湾を、蒋介石・国民政府が管理下においたんだ。独立したわけじゃない。」
「中国と台湾は別の国でしょ?」
「ん。」
「独立したわけじゃないの?」
「違う。台湾島は陣取り合戦に負けた蒋介石・国民政府(中華民国)が、最後に追い込まれたところだ。前後75年経つが、これは変わっていない。」
「びっくりね。知らなかった。」
「だから今でも、中国は最後の仕上げとして”ひとつの中国”を標榜し、台湾島を併合支配しようと画策している。・・実は、この負け組の蒋介石・国民政府が台湾を支配したこと。これが現在に至る様々な問題点の出発点になっている。台湾を見つめるには、視点を其処に置くしかないんだよ。
国民政府の台湾接収は、実はかなりの力ずく支配だった。だから無数の悲劇が生まれた。」
「どんな?」
「風前の灯となった政権が起こす疑心暗鬼と恐怖心による弾圧と粛清だ。」
「酷かったの?」
「うん。酷かった。実はね、台湾は80年代後半まで戒厳令が敷かれていた。実に38年間もだ。」
「戒厳令?」
「司法権/行政権すべてを軍に委ねるという法令だ。フランス革命中の時に作られた法律だ。
戒厳というのは『正字通』の中にある言葉だ。『凡そ彊敵のまさに至らんとして備を設くを戒厳という』とある。彊敵とは尋常ならざる強敵のことな。蒋介石/国民政府は38年間戒厳令を敷いていたんだ。」
「38年間も!」
「ん。戒厳令を宣言した政府は、1791年のフランス革命政府以来200余年間、幾つもあったが、38年間敷きっ放しという例は皆無だ。台湾だけだ。それだけ内外ともに緊張を危惧を持っていたということだな。台湾政府は。」
「そんな状態で、台湾の人は構わなかったの?」
「構わなかったかどうかは分からん。・・しかし蒋介石/国民党の支配は、無数の悲劇を生んだ。支配者の猜疑心は被支配者の悪夢だ。」
「なんか凄い話ね。台湾の人が日本の昔のお父さんお母さんにそっくりという話が、どっかへ飛んでっちゃうような話ね。」
「・・そうかなぁ。そうでもないかもしれない。今の台湾の隆盛を見ると、実はそうした瘰癧を重ねても尚輝く時代を得ることが出来るということ・・その最も素晴らしい例だと思うんだよ。
僕はね、前職のとき幾つもの台湾企業と付き合った。そのとき痛感したことがあるんだ。それはね、台湾は日本と同じモノ作りの国だということなんだ。中国人は、あるところを越えると商いに走る。言い方を替えるなら金融に走る。モノではなくマネーを転がしたがる。台湾人/日本人はモノ作りを忘れない。金融は従だ。それが中国人との大きな違いだと僕は思う。」
「モノ作りの国の人々・・工業国ということ?」
「ん。その根底には立農があるのかもしれない。ポー平原でローマが隆盛していったのも、あの国が立農国であり質実剛健だったからだ。”工業”は食を生み出す”農”を支える礎だからね。」
「台湾という国に、親近感以上の興味が沸いて来たわ。」
「孫文・蒋介石・蒋経国の系譜を追って行くと、今の台湾が見えるかもしれない。・・でも長い話だよ。」
「いいわ、長くても。」
>目次<
●はじめに/モノ作りの国・台湾
1-1バンチャオ(台北板橋區にて)
1-2台湾事始め
2-1二二八国家記念館
3-1北政南商
3-2篝火狐鳴ス
3-3作られた孫文の遺稿
3-4上海揺籃
3-5篝火狐鳴ス#02
3-6泥沼の国/共内戦
3-7台湾島への遁走
4-1台湾への個人的な思いで綴る統一中国考
4-2CCKと呼ばれた清泉崗基地
5-1蒋経国という生き方
5-2モスクワ中山大学
5-3 啼いて旅人を喰らう
5-4台湾島へ
5-5背水の陣
5-6朝鮮戦争
5-7闇の特務機関
5-8表裏合わせた台湾制圧
5-9高齢化する支配層
5-10蒋経国的閉幕
5-11両蒋文化園区
●おわりに
●章外/粘り腰というキーワード