見出し画像

ジュネーブでsissiに逢った#01

レマン湖の北の畔にあるモントルーという町にひたすら憧れたのは、大学時代に溺れるほど浸った一枚のLPのせいだ。ビルエバンスの「ライブ・アット・モントルージャズフェスティバル」である。何十回どころか何百回聞いただろうか・・ビルエバンスとエディゴメスの名演奏だ。

だから、一度は訪ねたいと思っていた。仕事でジュネーブへ立ち寄るたびに「ああ、この湖の向こうにあるんだけどな」と思った。しかし僕のジュネーブはいつも一泊だけの仕事場だ。絶対に次のスケジュールが詰め込んであって、空港→打合せ先→ホテル→空港/しめて24時間というものばかりだった。それでも何とか一日(日曜日)だけ滞在するチャンスができたことがあって、仕事先に「市内を案内しますよ」と言われた好意をお断りして、湖の向こうへ出かけたことがある。結局そんな自由がきいたのは、そのとき一回だけだっけど・・
仕事が終わってさっさとホテルに戻って、翌日の朝早く予約していたクルマで、レマン湖をぐるりと回ってモントルーへ出かけた。シヨン城に向かった。

清涼な肌寒い朝だった。
運転手は英語が話せた。だからガイドの真似事をしたがったが不機嫌な顔をしてこれを拒否した。一人ぼっちになりたかったのだ。まだアルプスの雪解けが始まらない頃だったから景色は単色で通り過ぎる街は何れも寂しげで、木陰から見えるレマン湖も鈍色で時折帆を下したヨットが見えるだけだった。
ところが・・到着してみると、時間が早すぎたせいで入城できなかった。
しかたなく、城に面した道を散策した後、一度モントルーへ戻ることにした。運転手がモントルーならいいレストランがあるといったからだ。
「モントルーはシシsissiが殺されたときに来ていた町なんですよ」運転手が言った。
sissi・・エリーザベト・フォン・エスターライヒElisabeth von Österreichオーストリア=ハンガリー帝国の皇女だ。
愛称はシシsissiだった。
僕が一瞬興味を示したので、運転手は目を輝かせた。
「シシはレマンの春と秋が大好きだったんです。彼女は何回もこの湖を訪ねてます」
「彼女が殺されたのは‥たしか」
「1898年9月10日です。ジュネーブの船着き場で刺されたんです。行ってみますか?帰りに?」
「うん。行こう」僕がそう返事すると、運転手は鼻を膨らませながら喜んだ。
シオン城からモントルーの町まではわりと距離がある。途中の運転手がおすすめしてくれたレストランで食事を済ませてからユーロヴィシオン広場を抜けて波止場へ出てみた。

レストランでは運転手と一緒に食事をした。彼は食事中、ひたすらエリザベートのことをしゃべった。
「あのとき、シシはお付きの人たちとコーのグランドホテルに泊まっていたんです。もっと山のほうにあったホテルです。それで週末だったからプルニーPregnyのジュリー・ロートシルト男爵夫人のお城に招待されたんです。それでその夜はホテル・ボー・リヴァージュHotel Beau-Rivage Genevaに宿泊されてます。その翌朝なんです。」
https://www.beau-rivage.ch/
ひたすら続く運転手のおしゃべりはそのまま車において、フェリーの桟橋を一人で歩いてみた。

風がション城のそれより寒いような気がした。湖を舞う風が吹きつけているせいだろうか・・フェリーの時刻表を見たら、ション城の傍までフェリーで行けることが分かった。45分だそうだ。
急いでクルマに戻って運転手に、ション城のさっきの駐車場で待っててくれ。ションまでフェリーに乗ってみると言った。そしたら運転手がオタオタしていた。
ま、このままいなくっちゃうとはおもっていないだろうが・・それでも僕がフェリーに乗るまでは、駐車場で待機してくれたのは流石にプロだ。
僕は待合室に入った。そしてついでに桟橋でフェリーを待つ間に今夜のジュネーブ泊りのホテルはHotel Beau-Rivage Genevaに変更してくれと、会社へ電話した。10分もしないうちに電話が返ってきた。Empress Sissi Suiteというのがあるそうだ。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました