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夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩5-2-8/ドン・ペリニオンから見えるもの・シャンパニュービジネスについて#06

オーヴィレール修道院の右前にある緩やかな細い階段を降りるとキュミエール通りにぶつかる。この辺りはモエシャンドンの持ち物だ。階段の左側に比較的小ぶりの家が並び、右側はそのまま白亜の壁が続く。キュミエール通りに続く白亜の壁の向こうに小さなドアがある。ここがモエのオーヴィレーにあるドンペリニオンのための展示室だ。要予約である。+33326519321(226 Rue de Cumières, 51160 Hautvillers)階段からキュミエール通りを左に歩くともすぐにMarion Bosser(1 Rue de la Croix de Fer, 51160 Hautvillers)がある。
www.champagnemarionbosser.fr/
ここは予約なしで訪問できる。フレンドリーなご夫婦がやっている素敵なプチメゾンだ。暖かいときは可愛い裏庭で試飲が出来る。英語が堪能なご夫婦だから安心して歓談できる。できればシャンパンを購入するように。ここは海外配送業者を使っているから自宅まで送ってくれる。ちなみに僕のFB友だちでもある。

「僕はドン・ペリニヨンにハイライトを当てたのは、当然モエだと思う。モエがDom Perignonというシャンパンを出したのは1936年だ。このときに使われたのは1921年に収穫された葡萄だった」
「ミレジムだったわけ?」
「ほら考えてごらん・・フィロキセラの時代だよ」
「あ!そうね!フィロキセラだわ」
「シャンパンのメーカーは、かなり早くから葡萄の台木を米国製に替えていたけど、当時、畑は何処もほぼ全滅状態の時だった。その中でモエはドン・ペリニヨンというシャンパンを作ったんだよ。ドンペリニヨンと言うアイコンに賭ける意気込みは相当なモンだったろうな。モエ社は掘り起こすように、ドンペリニオンの名声にハイライトを当てたんだ」
「それまで、ドンペリニヨンは知られて無かったの?」
「いや、そんなことない。1896年にシャンパンメーカーの組合が"Le Vin de Champagne"というパンフレットを作っている。此処には『古代から伝統』に則って泡入りワインの開発者としてドンペリニヨンが紹介されている。つまり言いたいのは"泡入りワインの創始者は我々である"ということさ。すでに他地方でも泡入りワインは色々と作られていたからな。それに対抗するため『我々が本家・元祖』というパンフレットだ。・・なぜなら」
「なぜならシャンパンは地元の僧侶が発明したから・・というはなし? 」
「そのとおり。"我々が泡入りワインのオリジナルである"プロパガンダのネタとしてドンペリニヨンを利用した一番最初のとっかかりは、シャンパンのSyndicat du Commerceだったと言えるな。
とくにドン・グルサールが残したドンペリニヨンについての伝説な。あれがそこいら中で意図的に使い回されたんだよ。ヒーローは神かがってなくちゃならんからな。
それに発明者が努力と研鑽を重ねた修道僧である・・というキーワードが極めて重要だったんだ」
「どうして?」
「シャンパンは、それまで貴族王侯が楽しむ酒だった。退廃と豪奢の象徴だ。それを修道院の弛みない努力と研鑽にすり替えたんだ。これは絶大な効果をもたらしたと思う。飲むことに負い目を感じない酒に換えたんだ。」
「その"修練と努力の賜物"としてのドンペリニオンを引き継いだ・・というわけ?」
「モエの創始者クロード・モエはオランダ商人だ。フランス王家に食いついた王室御用達商人だ。シャンパンは彼が扱った商品の一つでしかない。今のシャンパンメーカー・モエに変貌させたのは孫だったジャン・レミ・モエJean-Remy Moëtだ」
「でも、モエ・シャンドンでしょ?どうしてシャンドンって付いてるの?」
「ジャン・レミ・モエにアドレーヌAdélaïde Moëtという娘がいた。彼女がマコンの貴族ピエール・ガブリエル・シャンドンPierre Gabriel Chandon de Briailleと結婚したからだ。1833年だ。Briaille家は旧家で大金持ちだよ。フランス革命を生き抜いた貴族だ。侯爵だ。モエ家はこの結婚で一介の商人から貴族になった、そしてさらに大金持ちとなり事業を躍進させたんだよ。
ピエール・ガブリエル・シャンドンはモエの財務管理になった。そして1833年にジャン・レミ・モエ引退後は社名をモエ・シャンドンにしたんだよ」
「ふーん、なるほどねぇ。・・そう、モエの創始者ってオランダ商人だったの?ほんとにシャンパンメーカーって外国人ばかりなのね」
「ん。でもみんな移植した。外からコントロールする、ただの金貸しじゃなかった。だからシャンパンメーカーは成功したんだ。それと・・クロード・モエには面白い伝説がある。彼はジャンヌ・ダルクと戦ったオランダからの志願兵ジャン・ル・クレールだったという話さ。彼はその功績で王宮御用達商人になったというんだ。このころから彼はモエと呼ばれるようになった」
「へえ、でもどうして名前を替えたの?」
「モエというのは彼の仇名だったらしい。モエmoeって古仏語の"口"という意味で"おしゃべりな奴"とかそういう意味の仇名だったらしい」
「仇名がホントの名前になっちゃったのね」
「ん。でもそのmoeという仇名が彼の人と成りを表していると思えないか?見事なお小姓商人だったんだと思うよ。その三代目がジャン・レミ・モエだ。彼はエペルネーで生まれている。マルヌ川で産湯を浴びた人だ」
「・・ということは、ドンペリニヨンは知っていたわけ?」
「知っていたかもしれない。もしかするとドン・グルサールが残したドンペリニヨンの話も読んでいたかもしれない。18世紀終わりに、シャンパンメーカーの組合がドンペリヨンを神格化しようとしたとき、その中のキーパーソンにはピエールとアドレーヌそしてその息子たちが深く関わっていたと僕は思うな」
「で・・その本家本元になるオーヴィレール修道院を買ったわけ?」
「ということだ。そしてドンペリニヨンという名前も独占した。創始者ドンペリニオンを想起させるようなデザインを使った商品はない。まったくもって賞賛すべき商魂だ」
「え~一つもないの? ドンペリニヨンはモエシャンドンの専有物なの?」
「ははは。ひとつある」
「なにそれ・・あるの?」
「Champagne Pierre Gobillard(341 Rue des Côtes de Lhéry, 51160 Hautvillers)だ。
https://www.champagne-gobillard-pierre.com/
少し村外れD386沿いにある」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました