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深川佐賀町貸し蔵散歩#01

荒川から引き込んだ隅田川は江戸の町の真ん中を走っているように見える。しかし、これは後代からの目線だ。
実は地誌的には江戸市は隅田川までで、向う岸は下総・・というのが当時の人々の感性だった。江戸八百八町/江戸御朱引き線は、隅田川までである。もちろん家康はそう見ていなかっただろう。塩の道を行徳から敷いたとき彼の見ていた江戸は、いま僕らが見ている「江戸」と同じくらいのスケールだったと思う。

永代橋を渡りながら思うのは、この「向こう岸」という感性だ。我が家は佃島だった。築地側から見て「向こう岸」だ。中学時代に勝どきへ引っ越したが、これもまた「向こう岸」
母は仕事場が銀座だった。ホステスをしていた。都電で通っていた。買い物に行くのも銀座が多かった。出かけるときは、かならずきちんと身だしなみを整えてから出かけた。僕を連れて行くときは必ず僕も、良いところの坊やみたいな・・半ズボンと革靴とジャケットを着させられた。嫌だったなぁ~友だちに出くわしたら、後でどんな風に茶化されるか・・わかったもんじゃない。
ところが、相生橋を渡って門前仲町/亀戸/錦糸町へ出かけるときは、普段着のままだった。西仲の商店街を歩くままの服装で出かけた。・・そう思うと、母の中にも「向こう岸」という感性はあったのかもしれない。
いまの住民たちには、その感性はもう無い・・のだろうか?
隅田川を渡ったあちら側が「湾岸都市部」と呼ばれて、東京でさえなくなった今、江戸/隅田川/下総という区切りそのものに意味を見出す人々がいなくなった・・のかもしれない。

江東区白河に深川江戸資料館がある。大江戸線清澄白河が近い。此処が常設で江戸の町並みを展示している。モデルは深川佐賀町。いまの住所で云うと、江東区佐賀1丁目・2丁目あたりだ。

新川に続いて、向う岸を歩いてみることにした。
門前仲町でもなく、いま流行りの清澄白河でもなく。
今はちょいマイナーな佐賀町だ。
そのちょいマイナーな佐賀町を歩く前に、マイナーじゃなかった頃の佐賀町を幻視したくって、とりあえず先ず深川江戸資料館へ行ってみることにした。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました