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聖エミリオンの教会/サンテミリオン村歩き#04

ボルドーには毎年一回は通っていた時期が有った。サンテミリオンまで足を伸ばすのは何年にか一度だったが、僕らが大好きな村で、中世の趣を今でも漂わせた通りを、いつも目的もなく二人で歩いた。
僕らが村内でよく使うカフェは、モノリス教会Église Monolithe et Clocher de Saint-Émilion(Pl. du Marché, 33330 Saint-Émilion)の前、テルトル・ドラ・トントRue du Tertre de la Tente通りにある店だ。オープンカフェになっていて、とても清々しい店だ。モノリス教会を訪ねる観光客がしきりに出入りする店でもある。

何回目だったか・・いつもより長逗留をしていた時、昼食の後のお茶を此処でしていた。
その時、嫁さんが言った。
「サンテミリオンの地下教会って何処にあるの?という説明が難しいわ」
サンテミリオンは小さいが、ボーヌほどでないけれど整備計画して出来上がった村じゃないので、確かに場所の説明は難しい。

「村の一番大きな丘にあるクレノー広場とクロシェ広場の下にあると言えばいい。サンテミリオンの丘は、ボルドーの町を作るための石灰岩の採石場だった。その採掘場跡に作られたんだ。教会として大幅改築したのはAD1100年ごろ、オーブテール子爵だったピエール ドカスティヨンPierre de Castillonだ。彼はカッパドキアを訪ねていてね、これにインスパイアされたものだと云われてる」
「それにしても広大な地下教会よね」
「いまは70ヘクタールの回廊が残っている」
「昔はもっと大きかったの?」
「いや、大きくなったんだ。もともとは修道士エミリオンの寝起きしていた場所だったから。それを大幅に改造したのが、ピエール ドカスティヨンだ。彼は、自分の領地の中にサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼中継点を置きたかったんだろうな。彼はこのモノリス教会とLussac-Saint-Émillionにファズ教会Faize Abbeyを作っているよ。
ところが・・実は、正確な建造日時がよくわかってないんだ。 教会の南側3番目の柱に掘られた碑文には12月イデスの7 日目に奉献されたとある。ンじゃ何年の12月イデスの7日目なのかが不明だ。周辺の諸事情からAD1100年ごろだろうといわれているだけだ」
「なるほどね。でも聖エミリオンが亡くなってから350年くらいは経ってるわけでしょ?聖ベネディクト会修道院が作った礼拝所は、有ったのよね?」
「ああ、おそらくな。修道士エミリオンの聖遺物もそこにあったはずだ」
「はず?」
「宗教戦争の際に全部破壊されちまった。いまある像は、それ以降に作られたものだ。」
「あらあら」
「1110年代に入ってから教会の上に塔が建てられた。それがいまの鐘楼の基礎になった」
「いま見られるものね」
「1300年代から改修が始まってる。1300年代に、いまのゴシック様式の窓と門が建てられた。鐘楼の尖塔は1500年代に入ってからだ。そして1793年だ」
「パリ革命が来るわけね」
「ん。教会は革命政府に接収されて転売された」
「誰が買ったの?」
「もちろん土地のブルジョアだ。彼らは教会や貴族が保有していた葡萄畑は残したが、教会やローマ時代からの遺跡なんぞは、情け容赦なく壊したんだよ。モノリス教会は硝石の採掘現場になった」
「あ~石灰岩を穿った洞窟だったから・・ね」
「その硝石採掘場になった時、壁面に有った彫刻はすべて削り取られて硝石の粉にされてしまった。いま唯一残っているのは、破砕機が入らなかった部分だけなんだ」
「酷い話ね」
「まったくね。人々が、モノリス教会を保存しようとなるには100年近い時間がかかった。鐘楼が、いまのように復元されたのは1907年だ。本格的に復元活動がされたのは20世紀になったからだ」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました