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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩5-05/バスを使ってジュヴレ・シャンベルタン歩き#05・番外02

https://www.youtube.com/watch?v=9hI9Tljw3kk

「ケルトは、ギリシア語のケルトイ(Keltoi)で異族という意味だ。、ヘロドトスが使っている例がのこっている。あるいはGalataとも言った。これがローマ人の使うガリアGallīに繋がってるんだろうな。僕は欧州各地に定住して生活しているケルト人には、基本的にガリア人と呼ぶことにしてる。ローマ風だ」
「なるほどね・・で青銅器でしょ?」
「ん。青銅とは錫と銅を混ぜた合金だ。銅は柔らかいが、これに錫を混ぜると俄然硬くなる。しかも融点が低いので溶けやすく加工しやすい。・・発明したのは5500年くらい前のメソポタミア人だ。それが地中海周辺に広がったのは3000年ほど前から。エジプト/アッシリアに広がって、フェニキア人と共にギリシャにも伝わった。・・じゃあ聞くが、地中海文明の人々は、銅を何処で調達してると思う?」
「しらない。自分の国の山?」
「キプロス島Cyprusなんだ。銅を英語でcopperと云うだろ。アレだ。キプロスは銅の最大生産地なんだよ。ラテン語のcuprumもキプロスを指している。銅をキプロスから調達したギリシャ人たちは、錫を黒海周辺から調達している。ワインと交換でね。ギリシャ文明を大量に取り込んだローマも錫の調達用にワインを第外通貨として利用しているんだ」
「やっぱり黒海周辺から?」
「ん。はじめはな。しかし黒海周辺は常に治安が変転する。世情不安だ。それでギリシャから黒海貿易を踏襲したローマは、次第に黒海から遠ざかってしまうんだよ。コンスタンティノープル(イスタンブル)が再興するまでな。錫はアルプス山塊の向こうに求めた。
アルプス山塊北側/レマン湖あたりまではガリアの地だ。ローマ商人たちは険しい山道をアンフォラという陶器で出来た容器でワインを運び、これを錫鉱と交換して、再度エッチラオッチラと山道を抜けてローマにもどったんだ。おかげで今でもその交易ルートには運搬中に破損したアンフォラが。それこそ無数に転がっている。・・ところがだな」
「あ・でた。ところが」
「レマン湖から流れる川が有った。長い長い川だ。ローヌ川という。何かの切っ掛けだろうか、この川がリヨンを通ってアヴィニョンを抜けてアルルからマルセイユの横。地中海に流れていることが分かったんだ。つまり、山道を艱難辛苦で越える必要はない。川の流れに任せて船で運べば簡単に運べることが分かったんだ。
それ以来、アルプスでの錫の調達ルートはこのルートが定番になった。唐突にローヌ川が交易ルートの花形として躍り上がったわけだ」
「なるほどね、ローヌ川はリヨンで二つに分かれるけど、誰が見ても本流の方をソーヌ川と呼び、横に東へ進む川はそのままローヌ川と呼んだ・・というわけね」
「リヨンは、この錫交易ルートのために栄えた。それを軍役で支えるためにアグリッパがローマ道を開発したわけだ。下る川を船で兵士と軍備を運ぶのは至難だからな。陸路を作ったわけだ」
「なるほどねぇ~ずいぶん長いソモソモ話しねぇ」
「すいません」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました