見出し画像

夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#09/アヴィニョン#09

https://www.youtube.com/watch?v=Mg_80b6yZ2Q

ホテル・アミランドHôtel La Mirande(4 Pl. de l'Amirande, 84000 Avignon)のコンシェルジェは質が高い。僕が知ってるスーパーコンシェルジェのベスト10に入る人だった。(ベストワンは、NYCのピエール)シャトー・ヌフデ・パプへのタクシーの依頼でカウンターへ伺ったのだが、いろいろ相談しているうちにジコンダスとエルミタージュやクローズ・エルミタージュCrozes-Hermitageについてのアドバイスを沢山伺った。なにしろ交通手段の確保が大事だと思ってたので、コンシェルジェも兼ねる英語スピーカーのいるVTCを幾つか紹介しもらった。
Service VTC / TAXI Avignon +33767101263
http://assildriver-67.webselfsite.net/
ALPILLES DRIVER VTC AVIGNON +33781600369
http://www.alpillesdriver.fr/
Sarl Thierry Perfetti +33684002747
http://www.taxi-villeneuvelesavignon.fr/
Provence Cab +33634293649
https://www.facebook.com/profile.php?id=100064892774464
Taxi Radio Avignon +33490822020
https://avignontaxis.fr/
TAXI / VTC AVIGNON - PTS +33625538255
http://www.provencetransport.fr/
Taxi & VTC | OUIDriver +33766677711
http://ouidriver.fr/
「ドライバーさんは良い悪いより、好き嫌いが最初に来てしまいますから(相性ということですな)まずHChateau des Fines Rochesへ行かれるときに利用したドライバーが気に入られましたら、彼に全スケジュールを任せると、ストレスなく旅行できますよ」と言われた。
なるほどねぇ、その通りだ。最初のチョイスは彼に任せた。・・これで今回のシャトー・ヌフデ・パブ→エルミタージュ→ジゴンダスの脚は確保した。
「ワイナリーへの訪問は予約は取られましたか?」
「いやまだ・・」
「おすすめのところを幾つかご紹介しましょう。もし行かれたいところが有れば訪問日時をお知らせください。わたくしが予約をキープいたします。ドライバーにもスケジュールを渡したほうが良いので、もし明日のドライバーが宜しければ、私から彼にリストを渡します」
そしてビジネスカードをくれた「もしなにか困るようでしたらご連絡ください。わたしがフォローします」
僕は感激してお礼を繰り返した。初めての町へ出かけるとき、質の高いホテルの質の高いコンシェルジェは何よりも強い味方だ。
で。コンシェルジェから渡されたいくつかの資料をウンジでチェックしてた、ら嫁さんが料理教室から戻ってきた。そして感激のアメアラシシを2時間以上しゃべったのが昨日だった。

そして翌日。朝食のあとホテルを出た。天気はプロヴァンスの朝・・光に満ちていた。
ホテルの前はアミランド広場l. de l'Amirandeという。目の前にPLACE DU PALAIS DES PAPESという看板が有った。でもその横にTHE GIFT SHOP OF THE POPE'S PALACE FREE ENTRANCEという表示が有ったので、そのまま目の前のドアを入ってみた。
「なんかドキドキするわね」嫁さんが言った。
朝早かったからか・・客は僕らだけだった。
「なにか買うの?」
「本をね、見たい」
「じゃ私は、お土産になりそなもの見てみるわ」
さすがに本のコレクションは凄かった。写真が豊富なものが多くて、資料というより思い出・・という感じの本が多かった。
幾つか買い物をした後、そのまま大広間へ出た。
「いつきても広いわね」と嫁さん。
「ん。ここはもともと元々アヴィニョン司教のだったんだ。それがアヴィニョン捕囚時代に教皇宮殿になった。補修建造まで30年かかったんだ。ヨーロッパの中世ゴシック様式建築物の中では最大級だそうだ」
「え~でもアヴィニョン捕囚時代って、そんなに長くなかったんでしょ?」
「1309年から1377年。68年だ。教皇は7回入れ替わった。最初の教皇はベネディクト 12 世だった。高齢だったが7年間、教皇を務めてるよ。ここの設計は ピエール・ポワソンPierre Poissonとジャン・ド・ルーヴルJean de Louvresが手掛けている。内装は シモーネ・マルティーニSimone Martiniとマッテオ・ジョヴァネッテMatteo Giovanettiだ。4人とも当時最大級の技術者たちだった。この二人を取り込んだりのは次の教皇ケンティウス6世だ。教皇たちの趣味趣向をふんだんに盛り込んだ教会だよ」
「でも68年しか使われなかったんでしょ?」
「でもない。当時ローマ教会は分裂時代Great Schismでクレメンス7世とベネディクトゥス13世は身を守るためにバチカンへ帰らず、ここに30年余り暮らしたんだ」
「大分裂?」
「お金が増えるとわがままが出るもんさ。ついこの間まで殉教殉教と言ってたのが膨腹するとそのざまだ。鈴木宣明氏が『ローマ教皇史』でこんなこと書いてる。
『今やここに二人の教皇が互いに教皇職を争い、その死後それぞれの後継者を残した。西欧キリスト教は一方はローマ教皇庁に、他方はアヴィニヨン教皇庁に従い、「キリストの一つの体」は二つに裂かれてしまった。この分裂は一つの司教区・修道院・小教区・家庭にまでもひろがっていった。西欧教会大分裂は40年間におよび、キリスト教世界の最大不幸であった。』

アヴィニョンはフランス人勢力がキリスト教をしきったときに出来たもんだからな。その反動だ。いまのバチカンはフランス側を異教として弾き出してるよ」https://www.amazon.fr/Histoire-religieuse-lOccident-m%C3%A9di%C3%A9val-Ch%C3%A9lini/dp/2010178173/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=

「あら」
「フランス革命が有ったからな。フランスのキリスト教会は一度どん底まで堕ちたから致し方ないんだろうな。アヴィニョンの教皇庁は1433年にローマ教皇庁のものになってる。それからは名前は宮殿だ。以降はヴナスクVenasquesの伯爵領Comtat Venaissinであり教皇庁の直轄としてフランス革命まで続いてる」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました