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甲州ワインの謎#06/渡来人秦氏について#02

秦氏は他の渡来人に比して中央政府に入り込むという意思が弱い集団でした。もちろん参与し強く協力はした。しかし彼らは、それ以上に地方へ拡がり、地方豪族となることを望んだのです。

この、中央に巣食うより自律自尊を好む・・秦氏の気質に、僕は「此処は我が地に有らず仮宿也」と見做す思いを感じてしまいます。シルクロードの遥か西からやってきた彼らにとって、アジアは永住の地ではなかったのかもしれません。
ではなぜ、彼らは東の果てまで来たのか?その話は、あとに回しましょう。

さて。この秦氏ですが。彼らの際立った特徴は工人集団だったことです。機織・土木・冶金などの技術を技術を携えていた。
僕は魏志に登場する「万里の長城」の話を幻視してしまいます。
万里の長城を造成できる技術力を持つ集団が圧政を逃れて朝鮮半島に移り住み、其処も追われて海を渡り、YAMATOの国へ辿りついた・・そんな映像です。

この秦氏・工人集団の中に「丹の民」(丹とは水銀のこと)と呼ばれていたグループが有りました。これは鑪製鉄を行う集団です。ちなみに空海はその末裔です。
当時、製鉄は極めて高度な技術であり、鉄器は大きな富をもたらします。
どうやらこの「丹の民」は、ユダヤ人の集団だったらしい。傍証が幾つも見つかっているので、おそらく間違いないと思われます。
秦氏とともに琵琶湖から東へ拡がった「丹の民」は、鉄鉱脈を求めて山を奥へ奥へと入りこんでいます。伊賀高原を抜けて室生山塊から、より奥へ。鉱脈を求めた道は、そのまま諏訪湖まで続いたと考えられます。AC500年ころから・・1500年前の話です。

「丹の民」がユダヤ人だったら・・そして原始キリスト教徒だったら・・・想像の翼を思い切り広げさせてください。甲州の山里離れたところに、ポツリと「ヨーロッパ種の葡萄/甲州種」が残っていることの説明はつきます。いうまでもなく。(初期であろうと)キリスト教徒ならば葡萄/ワインが必要です。それなしに教会は運営できない。キリストの血であるワインとキリストの肉であるパンは、絶対に必須なものです。
ヤマトの国の東方に広がる山塊の中に、鉄鉱脈を求めて深く入り込んだ丹の民も、もしキリスト教徒なら祭事のために必要な葡萄を携えていたはずです。
・・そしてその鉱脈を求めて深く山を突き進む道は、あまりにも険しかったはずです。彼らの残滓は大半が消えた。しかし今でも僅かですが、その残痕は残っている。諏訪湖にも、長野の奥深い山奥にも、彼らの存在を忍ばせるものは点在しているのです。おそらく「甲州種」も、そのひとつなのではないか?僕はそんな風に妄想してしまうのです。

余談ですが、秦氏が建立した法隆寺や奈良の大極典の礎石は、この諏訪域の春日砥石を利用しています。おそらく秦氏の中の工人集団が、これを切り出し、奈良へ輸送したんでしようね。切り出す技術も凄いが、それを運ぶという技術も凄い。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました