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ジュネーブでsissiに逢った#03

朝はLeChatBottéで済ませた。ピックアップまでは2時間くらいあるのでホテルの目の前にある桟橋へ出てみた。
昨日の取引先Nの話を思い出しながら散歩した。
「1898年9月9日は金曜日でした。午後1時半ごろでした。エリザベートはモントルーのグランドホテルへ戻るためホテルを出て桟橋を歩いていていました。1時40分発のジュネーブ号に乗るためです。同道していたのはイルマ・シュターレイ夫人Irma Sztárayでした。船に乗ろうとしたそのとき、いきなり飛びついてきたイタリア人テロリスト、ルイジ・ルケーニがエリザベートを刺したんです。ルケーニはその場ですぐに取り押さえられました。皇后は起き上がり、そのまま逃げ込むようにシュターレイ夫人と共に船に乗ったんですが、そのまま甲板で昏倒してしまいました。シュターレイ夫人は、刺された部分から出血が流れているのを見つけました。それで大慌てして、エリザベトのコルセットを緩めてしまったんです。そのため吹き出るように血が溢れ出てしまったんです。ルケーニが使った錐のようなナイフが刺したのはエリザベトの左の胸、心臓のすぐそばだったんです。船は急いで孫橋に戻り、エリザベトは担架でホテルへ運ばれたんですが・・手当の甲斐なく亡くなりました。」
暗闇の桟橋を散策しながら話は、こんな感じだった。レマン湖から吹き付ける風は刺すようだった。
「明日は、私がお迎えに上がりますよ。空港までお送りします。実はシュターレイ夫人自身が書いた回顧録がございまして"Ausdenletzten Jahren der Kaiserin Elisabeth"というんですが、ぜひ飛行機の中でお読みください。」そう言った。

朝の桟橋は・・モン・ブラン埠頭は、レマン湖の遊覧船に乗るためだろうか人影が多かった。僕はホテルの前の通りを渡って公園に入った。そしてそのまま真っすぐ昨夜Nが案内してくれた桟橋の柵に取り付けられた真鍮製のプレートへ向かった。
"Ici fut assassinee le 10 semtembre 1898 S.M.ELISABETH Imperatrice d'Autriche"
「1898年9月10日、オーストリア皇后エリサベトが殺害された」とある。
大きくはないプレートだ。遊覧船に乗る客でこれを観に来るものは誰もいなかった。それでもしばらくプレートの前に佇んだままの僕に興味を持ったのだろうか。何組から観光客が近寄ってきてプレートを見たが、ちらりと見るだけで話もせずに立ち去るばかりだった。

もうすこし、詳しく書いてみよう。あのときエリザベートの一行は12名だった。しかしお忍びの旅行だったこと、モントルーからジュネーブへの小旅行にエリザぺーとが船旅を選んだことで、お付きの人々は全員汽車に乗り、エリザベートとイルマ・シュターレイ夫人の二人だけが船に乗った。警察の同行も断った。「ホーエネンプス伯爵夫人」という名前を使用して、身分も隠した。
その帰りの船である。帰りもお付きの者は全員、汽車。エリザベートとイルマ・シュターレイ夫人の二人だけが船に乗ることになっていた。
二人がホテルを出たのは1時半近く。船の出航は1時40分だった。
その日も、エリザベートは黒いドレスに黒い帽子、そして日傘だった。

彼女の起床は早い。目覚めるとすぐに冷水の風呂に入る。そして簡単な食事のあと身支度にはいる。身支度は大体3時間~4時間はかかる。侍女たちの恐怖の時間だ。エリザベートは周囲を叱咤しながら、髪をまとめ、化粧を施し、きつい拷問のようなコルセットをした。
・・すでに60歳を超えていたエリザベートには往年の美貌はなかった。むしろ過度なダイエットや運動で見る影もなく衰えていた。それでも絶対に体重は50kgを守り、ありとあらゆる美容法を駆使していた。
イルマ・シュターレイ夫人が侍女としてエリザベートの許に付いたのは三年ほど前だった。エリザベートは自分の召使には全員生涯結婚しないという誓いを立てさせていたのでシュターレイ夫人も未婚だった。
その朝の壮大な身支度というセレモニーが終わって、ホテルの玄関を出たのが1時半近く。
モン・ブラン埠頭を桟橋に向かって、シュターレイ夫人と二人だけで歩いた。
汽船は乗船を促す汽笛が断続的になっていた。
二人は急ぐわけでもなくゆったりと歩いていた。日傘を差していた。前からきた大きな男とすれ違いそうになった。二人は男に道を譲った。そのすれ違いざまに男がエリザベートを刺した。一瞬、彼女の胸を殴ったように見えたという。エリザベートは無言でその場に倒れた。シュターレイ夫人は悲鳴を上げた。男はそのまま走り去ろうとしたが、すぐに周囲の人々に取り押さえられた。
エリザベートは、シュターレイ夫人と通りすがりの人に抱きかかえられるように起き上がった。
「痛みはございませんか?」とシュターレイ夫人は聞いた。「大丈夫よ、あの男は時計を取りたかったのかしら」と答えた。二人はそのまま船に乗った。
しかし船上でエリザベートは崩れるように倒れた。上甲板のベンチへ横たえられた。意識はあった。シュターレー夫人はエリザベートが常食にしていた酒精に漬けた砂糖菓子を渡した。彼女はそれを受け取った。「わたし、どうしたのかしら?」と言った。そのとき、シュターレイ夫人はエリザベートの左の胸に血痕があるのを見つけた。シュターレイ夫人は動転した。すぐさま黒いドレスの胸のコルセットを緩めた。
それがよくなかった。コルセットが止血していたのだ。コルセットのしたの薄紫色のブラウスへ見る間に血痕が広がった。シュターレイ夫人は悲鳴を上げた。「暗殺よ!助けて!」と叫んだ。飛んできた船長にエリザベートの身分を明かし、すぐさま船を桟橋へ戻させた。しかし、そのときにはすでにエリザベートの意識はなかった。急ごしらえの担架でエリザベートはホテルへ運ばれた。ホテルは驚天動地の大騒ぎになった。ようやく医師が到着したとき・・既にエリザベートの息は絶えていた。2時40分という記録が残っている。葬儀葬儀は9月17日。棺はカプツィーナー教会のカイザーグルフトに納められた。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました