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フィロキセラという悪夢/beaujoLais nOuVEauに秘められたLOVE#13


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鉄道の開通は、ボージョレーに我が世の春をもたらしましたが、実は恐ろしい悪夢もボージョレーに持ち込んでしまいました。フィロキセラです。
フィロキセラは、葡萄の根に付くアブラムシです。北米東海岸の原生種です。 アメリカ原種の葡萄はこれに耐性を持っており、フィロキセラと共生できるのですが、ヨーロッパ種の葡萄は全く耐性がありません。フィロキセラが付着すると、100%枯れてしまいます。アメリカ原種の葡萄以外は大半が枯れてしまうのです。当時はそんなムシがいると誰も知らなかった。


1862年のことです。ラングドックに畑を持っていたM・ジョセフ・アントワーヌ・ボーティ(M.Joseph Antoine Borty)という男が、新しい商品を開発しようと考えて、東海岸からアメリカ原種の葡萄の木を輸入しました。アメリカ原種の葡萄は丈夫で、実も撓わに付きます。ボーティの畑にも見事に根付きました。
しかし、翌年から何故か周辺の葡萄畑が次々と枯れてしまったのです。ボーティの畑も、アメリカから持ち込んだ品種以外は全て枯れてしまいました。そして枯死の波紋は急速に地域全体に広がり、5年ほどでフランス全土に広がってしまいます。すべての葡萄の木が枯れてしまったのです。まさに悪夢です。そしてその悪夢は、イタリアにもスペインにも周辺各国にも広がり、全世界に広がるには30年ほどしか掛かりませんでした。


ボージョレーにフィロキセラの悪夢が辿り着いたのは1870年代の後半からです。突然、ボージョレーの葡萄畑も次から次に枯れ始めてしまったのです。おそらく伝播経路は鉄道でしょう。フランス国内でフィロキセラが拡がっていった経緯を見ると、やはりロジスティクが確立していた地方が最初にやられていますから、ボージョレーにフィロキセラが入ってきたのも、おそらく鉄道経由と考えられます。


幸いなことに、ボージョレーにフィロキセラが到着した頃には、フランス政府による必至の研究捜査で、原因が葡萄の根に付くアブラムシであるということは分かっていました。ジュール・エミール・プランションによって発見されていたのです。フランス政府は、彼をアメリカへ視察させました。そして同地で、ヨーロッパ種をアメリカ種に挿し木すると枯れないことを知りました。プランションはレポートとして、このことをフランス政府に報告しています。
フランス国内で、いち早くこの方法を導入したのは、ボージョレー地方でした。。 実はですね。当時ボージョレーにヴィクトール・ピュイヤVictor Puillatという人物がいたのです。彼は農家というより、葡萄の木のさまざまな改良を同地で実験する研究者でした。

その彼が、プランションのレポートのことを聞きつけ、自分の畑でアメリカ種の台木にヨーロッパ種の葡萄を挿し木する方法を実験したのです。この二種を挿し木する技術は、かなりデリケートです。あまり深くヨーロッバ種の枝をアメリカ種の根に挿すと、結局フィロキセラにやられてしまう。かといって浅いと挿し木は失敗します。ピュイヤは、考えられる色々なパターンを同時に試行し、最も確実な方法を確立しました。彼の発見した方法は、ボージョレー地域だけではなく、瞬く間にフランス全土で採用され、フランスのワインを守ったのです。 ボージョレー、史上最大の偉業です。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました