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機械の花嫁への懸想#04

子供のころは音楽なんか全く興味がなかった。ガッコの帰りに大声でみんなと一緒に歌うのは春日八郎の「お富さん」だったし、三波春夫の「チャンチキおけさ」だった。ンで、それが赤胴鈴乃介に続く。これを合唱しながら毎日帰校していた。あとは「田舎ぁのバスは♪おんぼろクルマ♪♪」あたりかなぁ。熱唱してた。
そのころ僕が通っていた佃島小学校は、西仲商店街一番に有ってね、ウチは元佃だったから、佃堀にかかっていた木の橋を渡って帰宅してた。ンで、興が乗るとその橋の真ん中に立ち止まって隅田川に向かって皆で合唱するんだ。声を限りにね。

死んだはっずだよ♪ おっとみさんン♪
生きていたとはぁ♪ おしゃっかさまでも♪はぁ
知らぬホトケの♪ おっとみさん♪
エッーサオーォ♪ げんやぁだな~♪

歌の中に出てくる「粋な黒塀に 見越しの松に」のところは、ずっと「いきな黒兵衛に 神輿の松に」だと思ってた。そうとう大人になるまでそう思ってた。

そんな僕に音楽の救済をくれたのは中学時代のガールフレンドだったんだが、ジャズのEPなんぞを生意気にも買ってくるようになると、母が僕をコンサートへ連れ出すようになった。それまで母のお供は洋画と決まっていたんだが、それに来日ジャズマンのコンサート回りが加わったのだ。
ジャズは正直わからなかった。母に連れられて行ったマイルズ・ディビスもジョン・コルトレーンも、まったくチンプンカンプンで五月蠅いだけで、コンサートのあいだ中「早く終わらないかなぁ」とばかり考えていた。でも洋画のほうにはハマった。そのうち「コレが見たい」と僕が言うと「一人でお行き」とお金をくれたりした。その頂いた小遣い・・三回に一回は、飲み食いに使っちゃったけどね。

ああ、そうだ。前述、中学時代のガールフレンドと観に行った最初の映画は「ミクロの決死圏」だったな。よく憶えている。考えてみると・・つまらないボーイフレンドだったと思うな。彼女は某病院のお嬢様で趣味がピアノだったから、音楽の話をいっぱいしたかったんだと思う。それをディフェンスするつもりで「僕はジャズがすき」なんぞと言っちゃったもンだから、そっちの話題にはならない。そのうえ僕がする話は「初歩のラジオ」に載ってるような話ばかり。デートに誘うとき観に行く映画はSFばかりだった。

それでもその娘と中学卒業までもったのは彼女の我慢の成果だと思う。その証拠に、高校時代は全く彼女らしい彼女はできなかったからね。僕の高校時代はバンドと映画と計算機。そして少しだけ学校・・に明け暮れた。それだけで時間が足りなかったくらいで、女の子と遊びに行くなんてことは思いもつかなかったな。一日が24時間じゃ全然たりなかった。
そのころから僕は少しずつショートスリパーになり始めてたと思う。ちょっとずつ知らないうちにREM睡眠とノンREM睡眠を上手く使いこなせるようになったんだ。まあ、おかげで学校の授業中はよく寝たけど・・

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました