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道東新古細工#04/野にこそ遺賢在り

硫黄山は、屈斜路湖湖畔から国道52号をしばらく走った川湯温泉の先にある。硫黄山はあくまでも通称で、アトサヌプリが正式名。国土地理院の地形図にもアトサヌプリとある。標高508mでいまだ噴煙の上がる山だ。
ここで硫黄採掘が始まったのは明治10年。釧路の廻船問屋4代目佐野孫右衛門(喜与作)だった。彼はクスリ産物を扱っていた。初代は富山の人だからクスリとは縁が深かったんだろうね。その彼がこの山に注目したのは当たり前と言えば当たり前だね。
明治の御代になって海外貿易が急速に興隆すると、相まって硫黄の輸出量も大きく伸びていた。北海道の硫黄鉱に注目した孫右衛門は先見の名がある。資料によると明治16年には全道一の採掘量になっている。
となると大資本が黙っていない。明治20年、安田善次郎がこれを買い取っている。善次郎は安田財閥の祖だ。かなり強引な商売をする男だ。安田は官慮を得て釧路監獄の囚人を懲役として利用し、硫黄山・標茶間の鉄路をわずか8か月で敷設させている。これが硫黄の大量輸送を可能にさせた。安田は乱掘に乱掘を重ねた。もちろん硫黄資源はあっという間に枯渇した。そのため鉄路も採掘場も10年余りで幻のように消えている。
それでも一部線路が放置され残っているという・・これを見に行きたいと思ったのだ。

ところがママの美幌農協詣でが思った以上に盛り上がって、カボチャをヤマのように色々な種類を買うわ、玉ねぎを馬に食わせるのかというほど買うわ、これは手持ちするとアスパラや色々買い込むわで、それらを銀座へ発送するのにえらい時間がかかってしまった。なので12時着のはずの屈斜路湖オーベルジュsoraへの到着が大幅に遅れて、ランチが終わったのが15時過ぎになってしまった。
でもとても素晴らしいランチで満足度いっぱいだったんで、時間押せ押せという感じにはしないで食事した。焦ってたのは運転手さんだけだろうな。
さてさて・・食事おわって、おっとり刀でTAXIに乗ったのだが、途中でオーベルジュsoraから電話がかかってきた「お帽子をお忘れでございます」げげげげげ~、僕のインディ・ジョーンズ・ハット~、もう手に入らない帽子。焦って取りに戻った。
すぐに気がつけよぉって、言いたい。自分にもホテルにも・・これで往復40分近く無駄にしちゃった。
んんんんん。しかたなく硫黄山詣出はあきらめることにした。
ま。今度があるよ。チミケップは冬にまた来ようなとママと話してたから、そのときに回せばいい・・
と・・自分の粗忽さにYESを出して・・大空町の農協直販所へ向かいました。
ところがこちらは、直販所というか「道の駅」という雰囲気、銀座あたりにある物産店と同じような商品構成だった。お土産を買うくらいで、大きな買い物はしなかった。
で。女満別空港へ向かった。

途中車窓に、広々と続く玉ねぎ畑・酪農農家がみえた。
「行きそこなった硫黄山鉱山が閉鎖した後、村は働く人も去り急速に寂れたんだ。安田善次郎は金融の人だからね、儲けると儲けただけで、さっさと撤収している。aeonと一緒さ。鳴り物入りで大型店を地方に出して、地元の小商いの店を片っ端に廃業に追い込んで、儲からないとなるとさっと身をひるがえして閉店する。aeonが閉店した地区にはぺんぺん草も生えなくなる。この辺りもそんな感じだった、硫黄山鉱山が閉山した後、この地に残る人は殆どなかったからね。村は悲惨なほど凋落したんだ。それを変えたのが小田切栄三郎という人だ。」
「偉い人なの?」
「青年よ大志を抱けのクラーク先生のいた札幌農学校の卒業生だ。新渡戸稲造との学友だった。あの学校からは北海道開拓史に残る偉大な農業指導者が輩出している。」
「新渡戸稲造?だれ?そのひと」
「あ・あれ?・・エライひとです。」
明治30年、同地区の大半が皇室御料林になると、小田切栄三郎が所長として就任した。彼は「川上御料農地開拓設計書」を上辞し「酪農/農業の兼業農家」を強く推し進めた。現在の道東山間部の在り方を定めたのは彼の功績である。
「チミケップ川と並んで走る林道を降りてくるときに、製材所があったろ?酪農の牧場もあった。馬の放牧してるとこもあったろ?」
「ええ」
「あれは全て小田切の業績なんだ。小田切は精力的に富山県からの移民を推し進めた。同じ雪国で同じ原生林を負った人たちだったから・・だろうな。自分の農事試験場で開発した適地作物を分け与えて、貸馬仔分法で馬耕を支えたんだ。そして少しずつ牛や羊を育てる兼業酪農家を培っていったんだ。今じゃ道内/全国随一の酪農王国になっているがね、すべて小田切栄三郎の功績だ。」
「ふうん。あなたがいつもいう"野にこそ遺賢在り"ね」
「そうだ。いつだって初対面は姿勢を正して向かわなければいけない。「書経」は野に遺賢なしというが嘘だ。野にこそ遺賢は在る。」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました