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ハーレムのなおみとひろしのこと#04~おわり

二人の話は友人たちの間にすぐさま広がった。それに続く「自殺幇助」と「家宅捜査」の話も広がった。理不尽に失職したにも関わらず彼が何もしなかったことも友人たちの間に知れ渡った。そして同時に「なおみ」が守っていたセーフハウスのことも少しずつ漏れ聞こえるようになった。となると「がんばれ!まけるな!ハーレムの日本男子」「黒色の日本男子を支えよう!」と奔走していたFのキャンペーンも、いつの間にか全員が及び腰になってしまった。
それでも何人かの友人は彼を支えるために奔走し続けた。しかし・・「ひろし」の失意は深かった。彼はハーレムのアパートに閉じこもったままになった。僕らが訪ねても、彼は上の空で対応するだけだった。極端に無口になった。
・・夏が終わった。9月に入った。僕は、仕事も「ひろし」への援助も半端なまま帰国した。
そして911だ。AA11便とUA175便がマンハッタンと世界を一変させた。僕の仕事も猛烈な影響を受けた。
こうして「ハーレムのなおみとひろしの話」は、ここで途切れてしまう。

再度、Fの口から「ひろし」のことを聞いたのは、何年も過ぎてからだ。911以来、マンハッタンは変わった。ハーレムも激変したという話をアルゴンクインのバーでしていた時だ。なぜそんな話になったかというと、ママと下の娘のために借りた91eastのアパートから、二人がMETの裏あたりへジョギングしに行くという話をしたからだ。
「あの辺りは朝晩はホームレスも怖がって行かなかった。そこへジョギングへ行くと云うんだからビックリだ」僕が言うとFが笑った。
「ハーレムもな。125の通りは観光客が闊歩してるぜ。昔の14stみたいだ」
「・・そういえば、あの黒色の日本男子はどうしたのかな?」と僕が言うと「元気にやってるよ」と即座に返事が返ってきた。
「ハーレムで相談センターをやってる。一定数フラボノをこなさなきゃならない弁護士と、困った人の間に入って調整を図るセンターだ。事務所は俺が手配したよ」
「そうか・・それは良かった」
「彼が弁護士資格を失った話は、彼が助けた人たちの間に突風のように知れ渡ったんだ。それこそ、その家族や縁者を入れて何百人だ。嘆願書が市に出されたんだ。最初は彼も気乗りはしていなかった。でも、彼を助けた人々に励まされたんだ。あなたを必要としている人たちは丘の向こうまでならんでいる!ってね。最後は市も彼も、みんなの情熱に根負けした。市の助成を受けて相談センターが立ち上がったんだ。事務所開きの時はすごかったぜ。それこそお祝いに数千人の人が訪ねたんだ。・・もちろんメディアはこなかったけどな。すごかった。
いまは、精力的に動いているよ。フラボノを碌にしたことない若い弁護士には、適切なサジェスチョンをだしたりな、弁護のための原稿に手を入れたりな、昔の彼に戻っているよ。しばらくぶりに逢いに行くか?」Fが言った。
「ん。そうだな」
数日後、Fと共に「ひろし」の事務所を訪ねた。
僕が日本からきた・・というと、彼に一瞬暗い影が走った。僕は、あ・・と思った。忙しく立ち回る彼の姿の裏に、孤独の影を見たような気がした。僕が握手の時に「忙しそうだね」というと、「ひろし」は笑いながら言った。
「忙しくないとね。忙しいほうがいいんです」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました