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ベルジュラック06/サンテミリオン村歩き#51

https://www.youtube.com/watch?v=h_QKgYuSa40

タバコ博物館を出た後はアルブレ通りを歩いた。ホテルまでは5分もない。部屋に荷物を置いた後、レセプションにランチが素敵だったことを報告し、ディナーのことも相談した。彼はRestaurant Le Vin'Quatreという名前を即答した。
Restaurant Le Vin'Quatre(14 Rue Saint-Clar, 24100 Bergerac)
https://www.levinquatre-restaurant.fr/
予約は問題なくとれるとのこと、安心した。同時に近くで海外にワインが送れる専門店があるかどうかも訪ねた。
指を立てると「ちょっと時間ください」と言った。何か所が電話をしてくれた。
「おすすめしたところはちょっと遠いので・・雨ですから。近くではここが良いかと思います」
お奨めしてくれたのはLe Temps Du Vin-Cave à vins à Bergerac(29 Rue des Fontaines, 24100 Bergeracょという店だった。
僕らはもう一度町へ出た。昼食をしたL'Imparfaitのところまで歩いて、目の前の六差路をフォンテーヌ通りへ入った。「POPというレストランとQ4というレストランの間の道を進んでください」と聞いていたのですぐに分かった。少し歩くと右側にMOULIN DES CINQ CANNELLES(25 Rue des Fontaines, 24100 Bergerac)という博物館が有った。プレートを見ると、水力発電所だったようだ。
「19世紀のベルジュラックは経済的に豊かだったからな、町は早くからガス灯が有ったそうだ。130あったという。それが水力発電所を敷設することで1890年から電灯に替わったそうだ。ここはその水力発電所の跡らしい」
「あ、それでこの通りをフォンテーヌ通りというのね」

お目当てのCave à vins à Bergeracはすぐ隣に有った。大きなショップだった。
https://www.caveletempsduvin.fr/

さすがにベルジュラックのワインのコレクションは充実していた。他にもドルドーニュ川のワイナリーのワイン・とくにサンテミリオンとポムローヌそしてボルドーワインのヴィンテージが豊富だった。こうした土地のワインはとても良い。幾つもワイナリーを歩かなくてもその土地のワインに出会うことが出来るからだ。Chateau de Montrabel.CorbieresChateau Unidor,Bergeracの1970年代1960年代のものが並んでいた。面白いものを幾つか集めて、自宅へ送ってもらう手続きをした。

店を出た後、そのまま北へフォンテーヌ通りを歩いた。100mくらい先にベルジュラック市場がある。常設のマルシェらしいので寄ってみた。しかしそろそろ夕方なことと雨のためだろうか、大半が閉まっていた。仕方ないのでマルベック広場にあるCarrefour City(53rue, Nve D'argenson, 24100 Bergerac)へ寄ってからホテルへ戻ることにした。

「ベルジュラックはドルドーニュ川を挟んだ町だ。もっと川上流にあるサルラや、東北のイスル川に面したペリグーとの大きな違いは、ここがアキテーヌの平原北西の端にあるからなんだ」
「アキテーヌの平原?」
「ボルドーからナルボンヌまで、大きな山間部なしで広く広がる平原だ。ガロンヌ川とドルドーニユ川はその平原を流れている。その為に何回も蛇行を繰り返しているんだ。しかしベルジュラックを越えるとドルドーニュ川は山間部に入る。平地を利用した田園地帯はここが境界線になってる。ローマが進出したのもこの辺が境だった。
ローマが去った後、諸侯の時代になりエリアノールとアンリ二世の統治が始まる。そして百年戦争だ。
1294~1297年に起きたギュエンヌ戦争からだ。何回も争奪戦がこの地で繰り返された。そして途中の休戦協定のたびに、土地の所有者は英仏何度も入れ替わっている。土地の人間の都合から見ると、英領の時は交易が盛んになり、仏領のときは停滞するを繰り返した」
「厄介な話ね」
「戦いに敗れ、英国が撤収した後も、人々は英国に思慕した。これは致し方ないな。宗教戦争時代になって、カトリックとプロテスタントが対立しあった時、弱者であるプロテスタント側に人々の心情が傾いてしまう遠因はここにあるように思うな」
「なるほどね」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました