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OKINAWA1970 #2 沖縄で弾くブルースマーチのテーマ

三舟さんはステージに上がると、背の高い椅子に座って、おもむろにベースを手にした。そして先ずB♭単音を砲音のように弾いた。続いて「タターンタターン♪タターンタターン♪タッタターン♪タタタターン♪」と聞き慣れたフレーズを弾いた。ブルースマーチだ。三舟さんが目でティミーに合図した。ドラムの前に座っていたティムが、間を入れずスネアーでマーチングフレーズを叩いた。
客席から口笛が飛び回った。
切れのいいマーチチング・フレーズだ。まるで米軍楽隊そのものだった。
三舟さんは、前の席にいたペットとテナーに上がってこいと手招きをした。ニヤッと笑うと二人がステージに上がってきた。そしてブラスとリードが高らかにブルースマーチのテーマを吹き始めた。客席から大歓声が上がった。
すごい。僕は鳥肌が立った。黄色い小男が黒人たちの魂を鷲掴みにしたのだ。

テーマが終わると、当然のようにペットがソロを取った。彼の吹いたフレーズは誰でも知っているリー・モーガンのブルーノート版のものだった。客席は怒号のような歓声になった。ジャズを知ってる者なら、知らない者がない名アドリブだ。ペットは、それをきれいになぞった。そしてなぞりながら、少しずつ崩していった。口笛と歓声は止まらないままだった。

僕は思わずカウンターを見た。ティミーの母親が、腕組みをしながらリズムを取っていた。得意満面に笑顔だった。
長いトランペットのあと、これまた長いテナーのアドリブが続いた。次はピアノだ。僕だ。
僕は緊張した。
千切れるようにテナーのアドリブが終わると、僕は荒野に放り出された。僕は覚悟を決めてブロックコードを連打した。ピーピーと口笛が飛び回った。僕は夢中になって鍵盤を叩いた。

ところが2コーラス目が終わったあたりから、ピタリと口笛が止まった。僕は一瞬ヒヤリとした。コケたかな・・と思った。
テナーとトランペットがステージから降りていく気配を感じた。あ。コケた。そう思った。
ティムが立ち止まるようにドラムを叩くのを止めた。
僕は顔を上げてティミーを見た。
ティムは僕を見ていない。首を伸ばしてドアの方を見ていた。
つられて僕もドアの方を見た。
Bar88のドアが開け放れていた。僕たちの演奏が立ち切れになると、外の怒号が聞こえてきた。店の中も騒然となった。米兵たちが血相を変えて飛び出して行った。兵士たちは「vietcong!」「fuckin!」を連発していた。
「ベトコン?! KOZAで!!???」
僕は、その年の夏のサイゴンに、一瞬のうちに引きずり戻されたような気持になった。米兵たちは次々に店の外へ飛び出して行った。
すると「パン!パン!パン!」と、聞きなれた乾いた音がした。M-16だ。怒号が一瞬収まった。しかしすぐに、数倍の大きさで怒号が戻ってきた。
僕は思わずピアノから立ち上がった。ティミーがステージから降りようとしていた。三舟さんは座ったままだった。僕はティミーの後を追った。
「やめな!行くんじゃない!」後ろからティミーの母が怒鳴った。ティミーと僕は一瞬振り返ったが、そのまま店を飛び出した。

本町通りは黒山の人だった。黒人と地元の人だ。全員が興奮している。「たっくるせ!」の怒号が、かしこから聞こえた。
ティミーが傍にいた黒人兵に聞いた。
「何があったんだ?」
「イエローナンバーが、また人を撥ねたんだ。MPが、撥ねられた人を放り出したまま、運転手と車を持ち去ろうとしたんだ。それで暴動が起きた。」イエローナンバーとは軍属の車両ナンバーの色だ。
夏にも同じような事件が起きたばかりだった。MPは地元民を守るつもりはない。泥酔した米兵の暴行事件も強姦事件も、MPは自分たちで囲い込んで始末してしまう。それは此処だけじゃない。フィリピンでもタイでもサイゴンでも一緒だ。
そのやり方に、地元民の鬱憤が爆発したのだ。
僕はビックリした。米兵への地元民の暴動なんて、ほかの国で起きたことない。小競り合いが有っても、それ以上になることはない。

「行くぜ」ティムが言った。でも本町通りは、群衆が多すぎて通れない。僕らは映画館の横から13号線へ出た。
「ボム!・・ボム!ボム!」と続けざまに何かが爆発する音がした。
暴徒が、通行するイエローナンバーを力づくで停めて、乗っている人間を引きずり出して、火を付けているらしい。僕は危ない!と思った。サイゴンでの市街戦を連想したからだ。
「ティミー!! 帰るぞ。」僕は叫んだ。
「見に行こうぜ!」ティムの目は狂気を帯びていた。暴動はいとも簡単に感染する。
「だめだ! 流れ弾でも当たれば死ぬんだ!!」僕はティムの手を掴んだ。彼は、はじけて跳び散る鉄の雨を知らない。

僕が強引に引っ張ると、嫌々付いてきた。
暴徒を避けて13号線を歩いた。
バー・カントリーもオハイオも、バー・トモダチも、すべてドアが開け放れて入り口の外に様子を見る人だかりが有った。僕らはスリーセブンの横を曲がった。
「ボム!!ボム!」という音と怒号を背にして・・
Bar88のドアは閉まっていた。鍵はかかっていなかった。
店の中に客は誰もいなかった。
ステージの椅子に三舟さんがベースを手に座っていた。その横に、ステージから足を垂らして、ティムの母親が座っていた。二人はビール瓶を手にしていた。バドワイザーだった。
「お前たちも飲みな。全部アタシのだよ。売るほどある。」彼女が言った。
僕らは黙ってカウンターの上に置かれていたビール瓶を手にした。
しばらく沈黙が続いた。

「コザは、米兵の反吐と精液で出来た町さ。奴らのおかげで、ただの田舎の貧乏くさい村が、こんなになったんだ。
アタシらは、米兵が垂れ流した反吐と精液に群がる銀蠅みたいなものさ。」彼女がボソボソと言った。
「でもさ。群がったのは村の連中じゃない。ほかの土地から流れてきた連中さ。アタシも奄美から来た。そんでティミーのオヤジと知り合ったんだ。そんな奴が多いんだ。」
「・・里奈。やめろ。今する話じゃない。」三舟さんが言った。
「今する話さ・・今しかできないさ・・」彼女はポロポロと涙を流した。
「ヤマトンチューが勝手に戦争初めて、ボロ負けして逃げ帰って、奄美にも沖縄にも、何も食うものが無くなったのさ。アタシは島を出て、ここに流れ着いて淫売するしかなかったんだよ。
それで見よう見まねで英語の歌を憶えて、バーで唄うようになったんだ。アタシも三舟も、まだあんたたちくらいの年のころさ。朝鮮戦争のころさ。
コザの町は、毎日のように大きくなってったんだよ。アタシもね、少しは良いものが食ったり着たりできるようになったんだ。そのときに、お前の父親に出会ったのさ。アタシはね。お前の父親に夢中になった。それでお前を身ごもったんだ。
お前の父さんは良い人でね。だからお前はホーキンズという苗字になれたんだよ。母さんはそのまま・・伊だよ。」
そこまで話すと、ティミーの母は黙って下を向いてしまった。
長い沈黙が流れた。
「・・・しばらくぶりに唄うよ。」そういうと口ずさんだ。
I see trees of green,
red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself・・・
「知ってるかい?まんまり有名じゃないけどね。サッチモの歌だよ。」
僕は小さく頷いた。
そしてピアノの前に座って、イントロをアドリブで8小節引いた。それに三舟さんのベースとティミーのドラムが付いてきた。
彼女が唄った。
「I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world

I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world」

木々は青々としげり
バラの花は赤く色づく
私やあなたのために咲く花たちを見ると
しみじみ思うのよ
この世界はなんて素晴らしいんだろうって

青い空と真っ白な雲
そして昼の輝きと夜の闇
しみじみ思うのよ
この世界はなんて素晴らしいんだろうって


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました