5大シャトーという格付けがされたわけ
"ワインの格付け"というアイデアは、髭の小男ナポレオン三世が思いついた。彼は中々抜け目なくの商売人だった。
1851年に開かれたロンドン博が大成功したのを見て、彼はパリでも万国博覧会を開くことにした。1855年のことである。
このパリ博で、フランス最大の輸出物だったボルドー・ワインを、新世界の「田舎者たち」が判りやすく買えるように、順番を付けて並べてやろうと考えたのだ。
この「汝らのワインに等級を付けよ」という、ナポレオン三世の命令はボルドーのネゴシアンを慌てさせた。それでもなんとか喧々囂々ながらも意見調整が為され、メドック地区にあった60のシャトーを中心に、1級から5級まで等級を振って格付けした。
白は、ソーテルヌ地区にあった26のシャトーを特級・1級・2級に分けた。
なぜメドック地区から・・だったんだろうか。理由は簡単。この地区にあるシャトーは、全ていわゆる「金で買われた貴族の称号」を持つネゴシアンたちのものになっており、仲間内の中で意見調整を図ったわけである。
1級Premiers Crus についても、ネゴシアン組合のパワーバランスから、四つのものが選ばれまた。
メドック地区から
Château Lafite-Rothschild(AOC ポイヤック)
Château Latour(AOC ポイヤック)
Château Margaux(AOC マルゴー)
そして唯一、グラーブにある
Château Haut-Brion(AOC ぺサックレオニャン)
が選ばれた。
なぜ唯一、グラーブからシャトー・オーブリオンが選ばれたのだろうか。当時オーブリオンのオーナーはポンタック家だった。
ポンタックは、非常に商売に商売に長けた人で、ボルドーで最初に自家製ワインについて"シャトー"という名前を付けた人だ。この差別化でポンタック家のワイン「シャトー・オーブリオン」は爆発的に売れ、しまいにはロンドン市内に「ポンタック・ヘッド」という酒場を出すまでになっていた。ボルドー最大の成功者だったのだ。
その大成功を見て、ボルドーのネゴシアンは我も我もと、自家製ワインに"シャトー"というを付けて、二匹目のドジョウを狙ったわけだ。
これほど功績と力を持つシャトーである。まさか外すわけにはいかず、1級Premiers Crus に入れられたのである。
そして1973年。金の力にモノを言わせて
Château Mouton Rothschild(AOC ポイヤック)
が1級Premiers Crus に加えられた。
このとき農業大臣であったジャック・シラクは、このときロートシルトから得たお金(裏金)によって大統領選へ向かい、ついには大統領の席を得ている。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました