堀留日本橋まぼろし散歩#11/夢二夢散歩#05
「必ずも偉大なARTが偉大な魂から生まれるわけではない。人殺しでも荒淫でも大噓つきでも、自分の事しか考えないロクデナシでも、偉大な作品を生み出す。芸術は人格とか品性に相関してないんだ。もししてたら高慢無慈悲なワグナーの交響曲があんなに凄いわけはない。軟弱で自己憧憬のカタマリで、男だろうが女だろうが、自分の義娘とまで寝てしまうロクデナシだったショパンがあんなに素晴らしい作品を書けるわけがない。
もちろん三流は違う。三流はオノレの喜怒哀楽しか描けない。実はそんな三流のほうが売れたりする。しかし時の女神の前では泡沫として消えて行ってしまうもンなんだよ」
「夢二は?」
「見てごらん、夢二の描く女性たち。夢二は自分の中に有る曲線としての女性を描こうとした。オノレのナルシズム/可憐さを描こうとした。夢二は自分が抱え込んでいた弱さ/自己撞着をその絵に載せたんだ。でもよく見てごらん。彼の描く女性の嫋(しな)やかさは、ウチに柳の靭やかさを秘めている。つまりね、夢二の描く女たちは、彼の手を離れた瞬間に彼を超えているんだ。彼の描く女性の嫋(しな)やかさは、靭(しな)やかさなんだよ。」
「なるほどねぇ。男たちが抱く幻想の女たちを超えている・・ということ?」
「ああ。僕は多分に岸たまきの存在が、つよくデバイスとしてあると思う。」
「たまきさんって、奥さんでしょ?」
「うん。何回も夢二は連れ添う女を替えている。でも正妻はただ一人、岸たまきだ。強い女、たまきだ。
そのたまきが、浮気したことがある。相手は若き東郷青児だ。そのとき、夢二は他に女がいて、そちらと同棲していた。にもかかわらず、たまき相手に刃傷騒ぎを起こしているんだ。浮気した!ってね」
「自分がしているのに!?」
「ああ。そういうやつさ。たまき自身が夢二のことを"絵が無ければタダのロクデナシ"と言ってる。そのとおり、自己撞着のカタマリのロクでもないやつだったことは間違いない。・・でも素晴らしい作品は残したんだ」
「なんか納得できない話ね」
「ん。でも割とある話だ。天才は自分が天才なことを理解してるからね。俺は天才だから、こんな程度は許してもらえるに違いないと、ヒトの道をまま外れるんだ。音楽の世界には多い。とくにポップスの世界にはな。薬にハマったり荒淫に走ったりするのは、弱い魂が巨大なARTに引き摺り回されて壊れてしまうからだ」
「かわいそうね。自分の才能が自分を壊してしまうのね」
「ああ、それって男だけじゃないよ。嵐山光三郎の『文人悪妻』に才能に溺れていく女性の例が山のように載ってる。女性史学者の高群逸枝を紹介する項で『いまのリブ女史には、権力志向が強い自我一途の独身おばさんがおります。テレビのバラエティ番組でわめき散らして国会議員となり、やがてバケの皮がはがれて落選し、ほそぼそとタレント活動をするものの、逸枝のような成果はありません』と断裁してる。と考えると・・岸たまきのような強かさ/靭やかさが実は、もっとも真っ当な道なのかもしれないな。
夢二の描く女性に、彼の意図を超えた「強さを秘めた嫋やかさ」が垣間見えるのは、それが女性なるものの本質だからだと思うよ。いかほど彼が女性なるものをオノレ程度に貶めようとしても彼の才能はそれを許さなかったという皮肉だ」
「その言葉も、そうとう皮肉じゃない? 」
凩や やなぎはやなぎ 裏銀座
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました