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夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#14/シャトーヌフ・デ・パプ04

https://www.youtube.com/watch?v=2msMmx1-b-4

食事のあと、庭へ出た。風が冷たくて強い。
「夜になると寒くなるのね」嫁さんが言った。城の温もりが石の壁から感じられた。昼間は並んでいたテーブル類も片付けられていて夜の風だけが遊んでいた。
「ホテルで働いてた人たちは、仕事が終わるとクルマでこの丘を降りていくんでしょ?真夏も真冬も・・」
「そうやってシャトーヌフ・デ・パプは生きていた。ワイン畑をミストラルの晒されながら守るという生き方だ」
「しても色々、考えちゃうわね・・」
「旅人の感傷だよ。命は何処にでもあって、どこにでも人生はある」
見上げると,二階の我々のいる部屋から光が漏れていた。隣の部屋も灯りが点いていた。
「あら、隣にも泊っている人がいるのね。私たちも戻ろう。身体が冷えてきたわ」
部屋に戻ると、さすがに温もりがある。嫁さんは、椅子を動かして窓の傍に座った。椅子はちゃんと二つ用意してくれてる。
「丘の上だから・・畑全体が全部見渡せて素敵ね。光が‥道路を通っている車のライトと星だけ。天気が悪いと何も見えなくなっちゃうのね、きっと」
星明かりが爽やかだった。
「UFOでも見えちゃうかも」嫁さんが笑った。
「見えたよ」
「え!どこ!うそでょ」
「見えたんだよ。70年前にね。1954年だ。葉巻型のUFOが何度も目撃されたんだ。市民がパニックしてね、UFO上陸禁止令という法律まで作っちまった」
「え~嘘でしょ」
「当時のNYTに載ってる。
1954年 9月だ。シャトーヌフ・デ・パプに住んでる鉄道職員だったマリウス・デヴィルデ氏Marius Dewildeがファーストコンタクトだ。深夜、唐突に犬が吠え始めたので外へ出て見ちまったそうだ。
https://www.nytimes.com/2004/09/15/news/1954space-ships-in-france-in-our-pages100-75-and-50-years-ago.html
その後も、グルノーブルGrenobleとかフォンテーヌ・ド・ヴォクリューズFontaine de Vaucluseで目撃が多発してね。2回もフランス空軍が緊急発進してUFOを探したそうだ」
「見つかったの?」
「見つからない。でも大騒ぎは納まらなくて、はたはた困ったシャトーヌフ・デ・パプの市長だった。彼が"Les soucoupes ou cigares qui atterriront sur la commune seront mis en fourrière si le garde-champêtre les attrape"というUFO上陸禁止令条例を出したんだ。上陸した際はUFOごと全て押収するという法律だ」
「あらま」
「この法律は、いまでも生きている。廃案になってない」
「ふうん。だからUFOさん、降りてこないんだ」
「だな。きっと。ところでこれがとても大きな事件になったので。ワインを作っちゃった人がいるBonny Doonというアメリカ人でね。つい最近まであった」


赤はグルナッシュ/サンソー/シラー で中々西地中海っぽい。白はグルナッシュ・ブラン/ヴェルメンティーノ/クレレットって、これもフレンチな感じを醸し出してる」
「もちろん、飲んだわよね?」
「そりゃそうだ。エリア51のエイリアンショップには無かったけどな。カルフォルニアなら意外と簡単に見つかるワインだ」
「やっぱり飲んだんだ。そうねぇ・・西海岸ならUFO好き多いからねぇ~売れるかもねぇ」
「ああ、ただのアヤカリモノではない。ちゃんとスジ通してフレンチしてるしな。飲んだら絶対に、お! これ買いにエイリアンは来たな・・と思うはずだ。しかしシャートヌフ・デ・パプはUFO上陸禁止令まで出したからな。もしかしてカルフォルニアまで買いに来るかもしれない・・という淡い期待入りのワインだ」
「またハナシをふくらませる。そんなわけないでしょ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました