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ワインと地中海#25/ヴェニスのワイナリー

掃いて綺麗にしたような青空になった。ダニエリの朝食は最上階だが、広いベランダが有る。‥少し寒かったが、外の席にした。
「自根木ワインという言葉は、ワイン呑みにとって無類の魅惑を持った言葉なんだ」
僕が言いだすと嫁さんが黙った。なにか言い出すつもりなのがわかっているからだ。
「フィロキセラ禍は、世界中のワイン用葡萄の木をほぼ全滅させた。現在、根まで全て単一種で育てることは、ほんの一部の土地を除いて不可能だ。根の部分はフィロキセラ(北米東海岸原種のアブラムシ)に耐性がある北米の葡萄の木を使用し、ワイン用の葡萄の木を、そこへ挿し木して育てている。
実は、ボルドー五大シャトーだって、ブルゴーニュの王DRCだって、すべて自根ではない。ちなみにDRCは1945年に最後の自根木が死んだ。それでも・・どうしても自根木でワインを造りたくて、隔離された地域あるいは島で育てた生産者はいた。今でもいる。しかし5年10年経つと、必ずフィロキセラ禍は忍び込んでくる。現在のところ、新しい畑で長期間の成功例は、ほぼない。この飽くなき道にチャレンジしている生産者がいる。今日はそこを訪ねよう。」
「島内にはないでしょ?」とシャンパン片手に嫁さん。「ん・・遠い。ラグーンの中だが、東の外れのサンテラズモ島である。・・サンテラズモ/セント・エルモね。Anacoreta(禁欲主義)で知られる聖人だ。水上バスで行けるが乗り換えて航路1時間半くらいのところだ。

「ふうん、行くのね」
「ん。行く」
なのでホテル・ダニエリ前の橋場から午前9時半の水上バスに乗った。ところが乗り換え先のF.te Noveで航行時間表を見たら、一時間に一便!それも10分ほど前に出たばかり。ここで一時間近く待つことになる。まぁそれも旅の楽しみと云うことで、停船場の前の店でラグーンを眺めながらのお茶タイムとした。
それで時間つぶしに船着場の前にある運行表を見ると、途中ムラーノ島を通過するようだ。こいつはいい。サンテラズモ島で昼食は無理だろうから、帰路ムラーノ島に寄って食事をするつもりだったから、途中下車すればいいわけだ。
「でも、一時間に一本でしょ?時間、ちゃんとチェックしてね」と嫁さんが云った。
「そりゃ、オレの仕事じゃない。」

さて、このサンテラズモ島Isola di Sant'Erasmoだが、ラグーンの中では大きい島のひとつだ。農業が盛んで、独特の小ぶりなカルチョーフィ(アーティチョーク)が有名だとのこと。地元ではカストラウーラと云うらしい。ただやはり沼地を干拓した土地なので、定例的に洪水が襲うそうだ。だからどうしてもワインの木のような長寿のものを育てるのはリスクが高い。
d'Orto di Veneziaは桟橋のすぐ傍にある。標高は3m?すごいところに有るなぁ・・というのが第一印象だった。


いささか長文だが、「デカンター2011」を引用したい。
https://www.magazinesandcomics.com/products/decanter-magazine-supplement-italy-2011
フランスのTVプロデューサーとして活躍していたミシェル・トゥルーズは、サンテラズモ島の海岸町に恋をした。ここはヴェネツィアとほぼ同じ大きさの島で、高価な小ぶりのカストラウーレ・アーティチョークが名産だ。彼の別荘からの眺めは、ラグーンからブラーノ島までなにも遮られることはないが、建て直しが必要だった。
トゥルーズ氏が到着すると直ぐに古老がやって来て「君の別荘はサンテラズモ島で最高の農業地に囲まれている。此処で君は何をするつもりなんだい?」と話しかけた。
トゥルーズ氏は都会の人間で、ただ夏の別荘が欲しかっただけだ。ここでなにかを栽培することなど考えてもいなかった。別荘に面した小さな土地は背丈ほどの木や葦、雑草が生えて使われていないよう水路があった。50年以上なにも栽培されていない。トゥルーズは古老の言葉で"挑戦"を決意した。
「常にワインに興味があったので、醸造家の友人に連絡を取ってみた」
その友人はローヌの生産者アラン・グライヨだった。彼は訪ねてくると土地の状況を見てここでワイナリーは至難であると判断した。そして、彼は投資する価値があるかを判断できるリディア&クロード・ブルギニヨン夫妻に相談することをを提案した。ブルギニヨン夫妻は土の微生物と農地の健康や特色を分析する専門家として有名な人物だ。

ブルギニヨン夫妻は言う。
「ブドウ樹に適切な土壌かどうか知る必要があった。結果は期待できるものだった。さらに古い茎を発見した。つまり、この土地で過去にブドウが栽培されていたということだ。しかし1つ大きな課題があった。それは土の塩分だ」
塩水は植物には致命的である。土から塩分を抜かなければならない。この作業は極めて大きな試練だった。
その上、他のヴェネツィアのラグーンし同じくアクア・アルタ(高潮)が来ると土地は海水に包まれる。サンテラズモ島は3メートルの塀に囲まれていていた。そして迷路のような排水路が張り巡らされていた。
クロード・ブルギニヨン氏は当時のことをこう語った。
「水路は何十年も使用されておらず,掃除もされていない。地元の人々が過去にどのように使用していたのかを学び、修復することを決めた」
「水路の掘り起こしと塩分土壌の建て直しに1年以上かかった。18世紀の水門が復活し、そしてヴェネツィアの水道局長から1日に2回の干潮時に農業用水を排水する許可をもらった」
「土壌で最も大切なものは、上部数メートルに含まれており、耕作することによってそれらを殺したくなかった。そしてようやく2003年に最初の4.5ヘクタールのブドウ畑が完成した」
「7年間、ブドウ樹は強く健康だ。植物を使ったフェンスはブドウ樹とラグーンからの潮風の間に育っている。用水路に沿って微生物を増やすための果樹を植えている」

ミシェル・トゥルーズ氏は、農園をイタリア語で「菜園」を意味する“オルト”と命名した。
前述アラン・グライヨ氏が品種の選択に協力した。苗木会社はVivai Cooperativi Rauscedo。ここでワインの試飲を行い、マルヴァジア・イストリアーナ50%,ヴェルメンティーノ40%,そしてフィアーノ10%という配合になった。
「マルヴァジア・イストリアーナはイストリア半島の海岸で、ヴェルメンティーノはトスカーナやサルデーニャの海岸でよく栽培されている」とトゥルーズ氏は語る。
フィアーノの選択が驚きだが、このDOCG フィアーノ・ディ・アヴェリーノの主要品種で、カンパニアの山中で栽培されている品種であり。近年シチリアで栽培に成功している。グライヨとブルギニヨン夫妻は、接木せずに植樹することも決めている。
「土壌が豊かなので、ブドウ樹の生命力を弱めるため、本来の根を生かすことが最適である」
「塩分環境と島の立地がフィロキセラのリスクから守ってくれる」
「つい最近、17世紀に緒サンテラズモ島の古地図を発見した。そこに私のブブドウ園が“貴族のブドウ園”と記載されていた。ワイン造りは理に適っていたのかもしれない」とトゥルーズ氏は語る。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました