見出し画像

ジンファンデルの話11

新大陸へ。スペインの修道士が捧げた血の滲む努力と命の象徴とも云える「ミッション種」は、100年の年月をかけて、しっかりとカルフォルニアの大地に根付いていました。覇権を失ったスペイン王国を継いだメキシコ帝国は、スペイン人の残した修道院を「坊主憎けりゃ」とばかりに迫害し、殆どの修道士を国外へ追放しました。僧院は荒れ果てた。しかし葡萄畑は残った。メキシコからアメリカ合衆国へ覇権が移ると、折しも旋風のように始まった黄金狂時代が、ワイン/アルコールへの要求を爆発的に増加させると、修道士たちが命をささげたワイン畑は、農夫たちによって次々と復活し、ワイン農家/業者に黄金時代が訪れたのです。
使われた葡萄の木は、初め修道士が遺したミッション種でした。しかしミッション種からできるワインは、決して美味しくはない。それが次第に"美味しい"メルロー/カベルネそしてジンファ...ンデルに替っていったのは、まさに少しずつですが農家が豊かになっていった証左だと言えましょう。
それとやはり、ワイン農家を構成している人々の出自が少しずつ変わっていったからでしょう。

農業を目指して、ロッキーの山を越えてくる人々は、大別すると三つです。
① ニューイングランドへ入植したピューリタンの裔。
② 北イタリアからの移民。
③ ドイツからの移民
ニューイングランドのピューリタンは、黄金を目指して流れ込んだ人々の一部で1840年代後半にはカルフォルニアに達していました。②と③も少数ですが50年代から有った。彼らは、ある程度資産を持って移民してくる人々だったので、最初から大きな畑を取得して大型の農園を経営しました。
その傾向は、大陸横断鉄道が完成すると加速しました。そしてこうした大型農家は、必ず大量に葡萄の苗木をヨーロッパから輸入したのです。そして現存していたピューリタン種を引っこ抜いて、ヨーロッパから運んだ種葡萄の木を植えました。

皮肉なことに・・その葡萄の木の中にフィロキセラに感染した苗木が有った。1880年代終わりのことです。
ロッキーで守られていた"純血のワインの地"は、大陸横断鉄道で脆くも崩れ落ちたわけです。

すべての葡萄の木は感染し、数年のうちに枯れてしました。しかし既に対応策はフランス・ボージョレーの農家が発見していたので、枯れた葡萄の木はすぐさま抜かれて「台木が北米東海岸の葡萄の木、枝はヨーロッパ種」というキメラに植えかえられて行きました。
そのときに熱心に植えられたのがジンファンデルです。

理由は、その結実の早さと糖分の高さです。ジンファンデルで作られたワインは、製法によってアルコール度数を15%以上にすることができます。
当時のアメリカは、ワインはアルコール度数が高ければ高いほど売れました。安くてアルコール度数が高く、手軽に酔っぱらえるワインが強く支持されていたのです。それがジンファンデルが多く植えられた理由です。
一方、ミッション種は。フィロキセラに感染すると全て抜かれて捨てられてしまいました。新しく植えられることはなかった。そのためにミッション種は激減し、現在で同種を見ることは殆ど見ることがありません。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました