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ハーレムのなおみとひろしのこと#03

911が有った年だったことはよく憶えている。僕自身もNYCにいたからだ。ある夜。深夜。「ひろし」の携帯電話が鳴った。日本の「なおみ」が入院している病院からだった。「ひろし」はドキッとした。電話に出ると、病院の事務局の人間だろうか、猛烈に怒っていた。
「今日の朝、奥様が病室から失踪しました。総出で院内を探したのですが見つかりませんでした。」電話の向こうの声が言った。
「失踪?どうして??」
「しかたなく警察に届けました。私物をすべて持ち出されてたので、勝手に自宅へ帰られたのかなと思いまして、届け出をしました。しかし、自宅にもいらっしゃらなかったんです。万一のことを考えて、施錠していた窓ガラスを割ってお巡りさんが入ったらしいんですが・・おられなかったです。
今大騒ぎになって行方を追ってます。旦那さんの方で何か心当たりは有りますか?ご親戚とか・・お友達とか」
「・・いや、ないです。親戚も友達も心やすい者はいないです」
「そうですか、いずれにせよ警察からもご連絡がいくと思いますが、このまま入院費の清算がないと私どもも困るのですが」
ようするに、取りっぱぐれしたくない・・という電話か。「ひろし」は鼻白んだ。
そのあと、すぐに警察から国際電話があった。失踪届を出すか?という電話だった。「ひろし」は何日か待ってみますと返事をした。
「失踪?どうして??」彼は何度も口の中でそれをくりかえした。

もしかすると・・「ひろし」は思った。翌日は事務所に出ないで自宅にいた。
夕方。玄関のベルが鳴った。「yes」と出ると「わたし」という返事が返ってきた。・・やはり。
玄関にいたのは、病院の名前が入った車椅子に乗った「なおみ」だった。「帰って来ちゃった。わたし」彼女は肩を竦めながら微笑んだ。
「薬も何も持たなかったんだって?」ひろしは言った。
「もう、薬も点滴も嫌!」そう言いながら、部屋に入ると「なおみ」はそのまま車椅子で窓の近くへ行った。そして外を見ながら言った「やっぱりNYCがいいわ。NYCに居たい」
「明日、病院に相談してみるよ」ひろしが言うと、彼女は窓の外を見ながら「病院も嫌!うんざりだわ。この景色がいい」と言った。
「わかった。明日、病院に相談してみるよ」
「ありがと。ごめんね、いつもわたし、あなたにわがままばかり言ってる」なおみはひろしの方を振り向くと、弱々しい笑顔で言った。
「ほかに誰にもわがままは言えないもんな。俺になら、いくら言ってもかまわないさ」
「ありがと・・どうしてもNYCが良かったの。わたし・・NYCがいいの。日本になんか、ひとつも良い思い出ないから」
「うん、とりあえずベッドへ行こう。長旅だったろ?疲れたろ」ひろしはそういうと、なおみの車椅子を押して寝室に入った。

「なおみ」を寝かしつけてから「ひろし」は電話にかかりきりになった。
日本側の病院は、相変わらず激怒していた。しかし「なおみ」が病院の車椅子に乗ってきたことまでは気が付いていなかった。
「お支払いはします。しかし、この後はNYCの病院に移りたいと思いますので妻のカルテを全部いただきたい」そう言って電話を切った。そしてそのままそのまま教父に電話した。そして「なおみ」がNYCへ帰ってきてしまったこと。NYC側で即応してくれる病院を紹介してもらえないかと相談した。
「わかりました。明日、わたしが一度、そちらへ伺います」教父が言った。
寝室に行くと「なおみ」は小さな微笑みのまま寝付いていた。一人ぼっちで辛かったんだろうな・・「ひろし」は思わず嗚咽しそうになった。
唐突にGIだった父が言った言葉を思い出した。「Certain kinds of patience are patience you don't have to have.我慢には、しなくていい我慢もある」ひろしがエィジアンの混血であることで理不尽な扱いを大学で受けた時だ。
「なおみ」を独りで日本へ行かせたのは「しなくていい我慢」だったのかもしれない。父なら即座にそう言ったかもしれない。
安らかな寝顔の「なおみ」を見つめながら「ひろし」はそう思った。そろそろ薬が切れて・・痛いはずなのに。「なおみ」の寝顔は穏やかだった。

・・そして翌朝。「なおみ」は目覚めなかった。「ひろし」は、彼女の手を握りながら何時間も過ごした。
教父が訪ねてきた。教父はすぐさま「なおみ」の友人である看護婦たちに連絡をした。看護婦たちは医師を伴ってやってきた。
「まるで他人事の芝居をみるようだった」後に「ひろし」は僕にそう言った。
医師は警官を呼んだ。病院以外での死亡は、検死が必要になる。「ひろし」は別室で警官から質問を受けた。
そして葬儀。葬儀が終わると「ひろし」は再度警察に呼び出された。そして、検察官からなぜ帰国させたのか?と問い詰められた。
「きっと、NYCで。僕の傍で、彼女は生涯を終えたかったんだと思います」そう言う「ひろし」を検査官は黙って見つめた。そして言った。「あなたは弁護士ですよね」と言った。そして続けた。「それとどうしても納得できないことがある。あなたたち夫婦はなぜ、あんなに幾つも部屋を借りていたんですか? 理由が知りたい」ひろしは沈黙した。
教会からの絶大な支持が有って、検察がいう「自殺幇助」は逃れた。幾つも部屋を借りていたことも不問とされた。しかし弁護士資格は失った。
「ひろし」は生きがいを「なおみ」と共に失ったのだ。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました