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黒海の記憶#29/ローマの歯亡舌存

簡単にローマの分裂に触れよう。
黒海にあった植民都市の大半を荒廃させてしまったのは、ギリシャ社会の崩落とローマの衰退だからだ。

肥大化し機能不全に陥っていたローマを、賢王ディオクレティアヌスは皇帝権を二分(西方正帝・東方正帝)するとで守ろうとした。共同皇帝マクシミアヌスだった帝国の西半分を預け、同時に副帝も一人ずつ選出し4人体制を構築した。テトラルキア制という。西方正帝/東方正帝と呼ばれることが多い。テトラルキア制は図体が大きくなりすぎたローマの管理を分担して行うことを目的としていたが、結果としてローマを東西に分裂させてしまうことになった。
これを再度統一したのはテオドシウス帝だった。しかし現実には、武力で抑え込んだとしても帝国を一元的に支配することは困難だった。統合して4か月後の395年1月17日、テオドシウス帝は死去した。彼は死の枕もとで長子アルカディウス(11才)にアドリア海より東を統治せよ、次子ホノリウス(9才)には西を統治せよと指示した。アルカディウスは父と共にコンスタンティノープルに生まれ育ち、忠実な部下も多く統治は決して至難はなかった。じつはアルカディウスは一度もローマを訪れたことがない。ローマを知らずしてローマ帝国の王として短い生涯を終えた男だ。

比して次子ホノリウスは、父の命で西方の統治者として宮廷はメディオラヌム(現ミラノ) に赴いた。もちろん何の采配力もない。後見はヴァンダル族出身の将軍スティリコが行なった。つまりローマは既にローマ人だけで国家を維持できないほど弱体化していたのである。

・・余談だが、そのさまは今の日本が似ている。ハニトラとマネトラ、裏組織のネッワークでズブズブになった似非日本人が政治の中枢に跋扈している様子を見ると、僕はかなり早い時期に日本が中国の朝貢国家に成り下がるであろうことを予見してしまう。土地や会社を嬉々と中国資本に売り払い、おもてなしとやら云う芸を猿芝居のようにして見せて歓心を買い、金をせびる姿は醜い・・ましてや、戦後最大の暗殺事件を、如何に証拠あろうと知らぬ存ぜぬで葬り去ってしまう骨抜きな官憲/メディアは、既に国家として末期に至っているとしか見ることができないのは、ぼくだけか??

408年、兄アルカディウスが死亡した。20代になっていたホノリウスは慢心し、父のように単独でローマ帝国
を支配しようと考えた。スティリコはこれを諫めた。ホノリウスはこれを強く恨んだ。佞臣に唆されたホノリウスはスティリコを408年8月22日に処刑してしまった。我が子のようにホノリウスを可愛がっていたスティリコは諄々とこれにしたがった。しかし・・この暴挙に将軍たちが動揺した。その動揺を抑えるために、ホノリウスは人質として取っていた将軍たちの妻子を、次から次に見せしめとして殺した。全く暗愚な男だったのだ。元老院がホノリウスの皇帝資格取り上げたのは409年だったが、もう遅かった。こうしてただ一人の浅慮蒙昧さのために西ローマは解体への道へ雪崩れ崩れるように進んでしまったのである。

一方、東ローマを継承したアルカディウスの長子テオドシウス2世だが、父帝死後7歳で即位している。実質的統治はオリエンス道長官アンテミウスが行っていたが、西の揺籃に惑わされることなく、むしろ巻き込まれないことで国家としての安全を図る方針を貫いた。国家経営は忠実な重臣が行い無為に我を通さない賢明さが彼にあったことで、コンスタンティノープルは千年都市とし栄華を誇った。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました